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最初の大谷翔平伝説…大谷が語った「人生一番の試合」、「伝説の17奪三振(18アウト中)」を体感した対戦相手が証言する「新品のバットが凹んだ」 

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中村計

中村計Kei Nakamura

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photograph bySankei Shimbun

posted2024/09/29 11:02

最初の大谷翔平伝説…大谷が語った「人生一番の試合」、「伝説の17奪三振(18アウト中)」を体感した対戦相手が証言する「新品のバットが凹んだ」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

写真は花巻東高3年のときの大谷翔平。大谷が「人生一番の試合」と語った伝説の1日を証言で振り返る

笹川 レフトフェンス直撃の当たりを打たれました。ただ、うちの外野手がネットに張り付いていたので二塁まで行けなかったんです。

――リトルリーグはフェンスまでの距離も60.95メートルとかなり短いんですよね。センター方向でいうと、通常の半分くらいしかありません。

笹川 極端にいうと、大谷の打球はショートがジャンプすれば届きそうな高さでした。それで、引っ張ったときの打球ぐらいのスピードで、フェンスにドーンって当たったんです。大谷は背は高いんだけど、ヒョロヒョロだったんです。どこからこの馬力が出るんだろう、って。

――打たれたボールは覚えているものですか。

笹川 アウトコースの低めの真っ直ぐです。若干、ボールかなというぐらいの。でも、あんなに厳しいところでも普通に届くんだなという感じでしたね。あそこのボールを、まともに打たれたのはあのときぐらいじゃないですかね。

――試合が終わったときは、どんな感じだったのですか。

笹川 悔しいとかはまったくなかったです。これだけのピッチャーだったら、当たり前だねみたいな。

――想像と実際、かなりギャップがありましたか。

笹川 想像の遥か上でしたね。のちに雑誌の取材やテレビで大谷は、この日の投球が野球人生の中でベストピッチだみたいなことを言っているんです。彼本人の中でも相当、調子のいい日だったんじゃないですか。

「成長痛がひどくて、野球ができないという噂」

――中1の夏でリトルが終わり、大谷はシニアリーグの一関シニアへ、笹川さんは地元中学(信夫中)の軟式野球部に進んでいますが、その後、大谷の噂を聞くことはありましたか。

笹川 中学時代は成長痛とかがひどくて、まともに野球ができる状態ではなかったみたいな噂は聞きましたね。

――笹川さんは、高校は仙台育英でした。再会したのはそのときですか。

笹川 私はBチーム(二軍)にいる時期が長かったので、練習試合などで直接対戦したことはないんです。なので高校3年の東北大会で、5年振りぐらいに生の大谷を観ました。そのとき、右中間に場外ホームランを打ったんですけど、相変わらず捉え方がうまいなと思いましたね。打ったときの力感がぜんぜんないんです。ゆっくり動いているんだけど、コンタクトスピードがえげつない。速過ぎて、ゆっくり見えるというか。もうレベルが違うなと思いました。

<続く>

#2に続く
大谷翔平が発言「人生最高の試合」たった1人、大谷からタイムリーを打った男の“その後”「仙台育英で3年間ベンチ」「大学野球部をわずか3カ月で退部していた」

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