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なでしこジャパンの世界一に胸をときめかせたサッカー少女が受け継ぐバトン。リバプール長野風花の人生の目的。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
posted2024/10/02 11:00
澤はクラブレベルでもアメリカの3つのチームでプレーをした経験がある。日本の女子サッカー選手が海外で活躍できることを証明した先駆者だ。
長野が幸せなのは、自分が愛しているサッカーに全力を注いでいけば、チームとしても、一人の選手としても、世界一になれるということを多感な時期に確信できたことにある。
なお、あの大会の決勝戦で最後のPKを決めたのは、当時のスタメンでは最年少だった熊谷紗希だ。現在の日本代表のキャプテンである。長野は、すでに現役を引退している澤と日本代表でともに戦うことはできなかったが、世界一のバトンは熊谷を通して受け継いでいる。
「自分が一番成長できる環境を、今までチョイスしてきました」
それだけではない。長野が語るように、当時よりも多くの選手がサッカーの本場ヨーロッパでプレーするようになった。なでしこジャパンのチームメイトには、年間の最優秀選手の候補に選ばれる者も出てきている。そのような状況は、日本代表の男子のサッカー選手からも、うらやましがられるほどだ。もちろん、イングランドの名門であるリバプールの一員として活躍する長野にとっても、年間の最優秀選手に選ばれるのも夢物語でなくなっている。
ただ、たくましく海外で活躍する長野が虚勢を張ることはない。将来のなでしこジャパンに入りたいと思うような少女たちが夢と現実を同時に見すえられるように、自身の味わった苦労を隠すことはない。
「やはり、家族と離れて暮らすというところでは、すごく寂しい気持ちもあります。でも、自分の目標が強くあるので、家族もサポートしてくれて、頑張れているのだと思います」
どれだけ離れていたとしてもサポートをしてくれる筆頭が、彼女の母親だという。
「母はいつも私の選択を尊重してくれて、『後悔しないように(進路を決めなさい)』と言い続けてくれていました。今までに出会った色々な指導者の方もそうですけど、自分が後悔しないように背中を押してくれたので、私は本当に自分の心に従って(移籍などの)選択をしてきました」
彼女が名門リバプールにたどり着くまでには、日本のチームだけではなく、韓国やアメリカのチームでプレーする時期もあった。国内での移籍はともかく、海外のチームへの移籍は困難もともなう。
「どの移籍の時も悩んだりしました」
長野も、そう認めている。ただ、短期的には大変な思いを味わったとしても、彼女には進路を選ぶ際に大切にしてきた基準がある。