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「父親ですけど夜は友達みたいな」三浦知良(57歳)が語る亡き父・納屋宣雄のこと…カズが最後に交わした会話「あの時の親父の顔が忘れられない」
text by
藤森三奈(Number編集部)Mina Fujimori
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/07/12 17:05
人生に影響を与えた人物として亡き父と叔父のことを語った三浦知良(57歳)
静岡駅に着き、握手をしながら親父は「頑張ってこい」と言ってくれました。その時の親父の顔は今でも忘れられません。お互いこれが最後かなと思っていたような別れだった気がします。
最後まで「またポルトガルに行っても出られないんじゃないか」と心配していた親父。実際、親父が言った通りになってしまいましたね(笑)。
僕がブラジルでプロになってからずっと、親父と僕は、プロとして大事なのは試合に出ることだと考えてやってきたんです。
ほらみろ、と親父は言っているかもしれませんが、ポルトガルでプレーすることは自分で決めたことなので後悔していません。
親父はそれから2カ月後に亡くなりました。
叔父は「人生の先生のような人」
もう一人僕の人生に欠かせない人は、叔父の納谷義郎です。僕が小学校の時に入っていたサッカークラブ城内FCの監督で、サッカーを通じて人として大事なことを常に教えてくれました。
親父は自由な人だったのであまり近くにいませんでしたが、その分叔父の義郎が近くにいてくれて、親父替わりでもあり、監督でもあり、人生の先生でもあるような人でした。
めちゃめちゃ怖い人でした。城内FCは、中体連の大会に城内中学サッカー部として出ることもありました。義郎叔父さんは、両方の監督を務めていたのですが、学校の先生ではないので、中学のサッカー部の生徒が普段どういう態度で過ごしているか、時折校長先生や学年の先生に聞きに来るんですね。
義郎叔父さんは「GOAL」というサッカーショップをやっていたので、「GOAL」と書かれた車が学校の駐車場に止まっていると、サッカー部の生徒だけでなく、不良の生徒たちも緊張していた。それくらい怖がられていました。
剃り込み入れて、叔父さんにぶっ飛ばされました
僕も、先生に反抗したり授業中に音楽を聴いたり、成績が悪かったりすると、義郎叔父さんにボコボコにされていました。
坊主頭に剃りこみいれた時にはぶっ飛ばされましたね。