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ボクシング拳坤一擲BACK NUMBER
“中学生でプロとスパー”井上尚弥の衝撃「こんな動きをする子が…天才だ」元世界王者・川嶋勝重に聞く「大橋ジムが“最強”を生み出せる理由」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byYuki Suenaga
posted2024/06/24 17:02
大橋ジム初の世界王者・川嶋勝重。未来を切り拓いた先駆者の目に、現在の大橋ジムはどう映っているのだろうか
天才中学生・井上尚弥の衝撃「避ける感じは今と一緒」
川嶋がアマ出身の後輩たちに感心した一方で、のちに世界3階級制覇を成し遂げる八重樫も川嶋のプロとしての凄みに触れた経験を記憶している。川嶋の世界タイトルマッチに向けた1週間の走り込み合宿に参加したときのことだ。
「合宿2日目まで、僕は川嶋さんよりちょっと速く走っていたんです。でも、3日目になるとハードなトレーニングで体が壊れてくる。スピードも落ちてくる。そこで川嶋さんは落ちないんですよ。1週間変わらない。だからどんどん差が開いてくる。川嶋さんは練習に対する姿勢がいつも100%なんです。最後に落ちかけても、もがいてがんばる、食らいつく。そういう姿を見て、この背中はデカいなと思いましたね。川嶋さんの背中を見ていたから、自分も一生懸命トレーニングできたのかなと思います」
川嶋が大橋ジムの第一世代とするなら、八重樫たちが第二世代だ。そして井上尚弥をはじめとする第三世代へとバトンは引き継がれていくのだが、キャリア終盤に入った川嶋が中学生だった井上の姿を鮮明に覚えているというのは興味深い。
「2007年くらいだったと思うんですけど、中学生だった井上選手がジムに来ていたのを覚えています。プロの選手とスパーリングをしていて、『うわっ、こんな動きをする子どもがいるんだ』と驚きました。まだ中学生なので力強さはなかったんですけど、避ける感じとかは今と一緒です。打って避けて、打って避けての動きがすごかった。こういう子を天才と言うんだなと感じました。ギリギリで避けるって努力じゃできない。僕だったらパンチが見えていても、どこまで届くか分からなくて怖いんですよ。見え方が違うんだと思いますね」
川嶋は2005年7月、徳山昌守との再戦に敗れて王座陥落。その後、3度世界戦のリングに上がり、08年1月にWBAスーパーフライ級王者、アレクサンドル・ムニョスへの挑戦に敗れた試合を最後に引退した。