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福島移住した母娘を襲った大震災…“わたがしペア”東野有紗の母が語る13年前の壮絶な記憶「最初はバドミントンさせるつもりはなかった」
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byHiromi Higashino
posted2024/05/02 11:06
母・洋美さんの後押しを受けてバドミントンに励んできた東野有紗
当時はまだ将来、世界で活躍することを想像できてはいたわけではなかったが、それでも純粋に「伸ばせるものは伸ばしてあげたい」という思いで、娘の可能性が広がる選択肢を探し始めた。
そんな折、バドミントンの強豪で、2学年上には桃田賢斗らも在籍していた福島県富岡町の富岡一中・富岡高から声がかかった。
「そのお話をいただいて有紗は本当に運のいい子だって思いましたね」
ただ、東野自身も「強くなりたい」と考えてはいたものの、当初は生まれ育った北海道から縁もゆかりもない富岡に行くことをためらっていた。
「有紗は北海道に残る父と兄、祖母が寂しい思いをするのがかわいそうだからと、ずっと迷っていて。それは大丈夫だからと説得して、ようやく『それなら(富岡に)行く!』と納得したんです。もともと、富岡に行くんだったら私は一緒についていくと決めていました。家族も、かなり前から “匂わせ”をしていたので快く送り出してくれたのかもしれません(笑)」
とはいえ、年頃の兄がいる。父を始め、家族に大きな負担をかける。母としては家族を残していくことに不安がなかったのか。
「祖母もいますし、二人とも炊事や洗濯、掃除、なんでもできるタイプなので。『お願い!』と託しました」
入寮させずに献身サポート
富岡一中・富岡高は一貫教育のため全国から有望な選手が集結し、寮も完備されていたが、洋美さんは入寮させることは考えなかった。
「まだ12歳でしたからね。自立面でのメリットもあったのかもしれませんが、高校卒業までは離れるべきではないと考えていて。私にとってはまだ子育ての途中という感じでしたし、有紗が競技に専念するためにも、近くでサポートするのが最善だと考えていました」
富岡で始まった母と娘の二人暮らし。洋美さんは新しい環境下での生活に慣れた半年後には、東野を支えながら福島で仕事を始めた。母の手厚いサポートがあったからこそ、東野はバドミントンに打ち込むことができた。
順風満帆のはずだった母娘二人きりの福島での生活。だが13年前のあの日、東野の運命を大きく変えたのだった。
(後編に続く)