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「で、デカい!」緊張するカメラマンに曙は優しく微笑み…格闘家としての“唯一の白星”に見た横綱の執念「立っているのがやっとの状態で…」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2024/04/18 17:24
2005年3月、韓国・ソウルで格闘家としての初白星をあげた曙。「立っているのがやっとの状態」でチェ・ホンマンとの“日韓横綱対決”に臨んだ
それにしても、なぜあのような状態で曙は試合をしたのか。推測するにそれは、“第64代横綱”としての意地だったのではないか。
格闘家としてデビューしてから、彼は左腕に「YOKOZUNA」のタトゥーを入れた。また、着用したトランクスにも“横綱(YOKOZUNA)”の文字がデザインされていた。横綱という称号に、誇りと愛着があったのだろう。
日韓の横綱対決を楽しみにしているファンや関係者の期待に応えたいという気持ちもあったはずだ。だからこそ、無理を承知でリングに上がったのではないか。
因縁のサップとの再戦「これは曙が勝つぞ」
2006年12月31日に行われたジャイアント・シルバ戦のあと、曙はプロレスに専念していたが、2015年大晦日のRIZINでサップとの再戦が決まった。右も左も分からなかったデビュー戦と違い、試合経験も十分積んだ。一方でサップは2011年3月から連敗が続いており、往年の強さはすっかり鳴りを潜めていた。この試合は12年前と同様に地上波での放送があり、リベンジするには絶好の機会だった。
だが1ラウンド開始まもなく、曙は後頭部にパンチを受け、左耳の後ろから激しく出血。試合中にドクターが2度にわたって止血したほどだった。それでも彼はなりふり構わず前進してサップをロープに追い詰める。パンチを連打する曙は明らかに手ごたえを感じているようだった。「これは曙が勝つぞ」と私は興奮した。
だが、2ラウンドに入っても傷口は広がってゆくばかりで、試合はストップされた。その結果、負傷判定によりサップが勝利した。
突然の幕切れに、珍しく悔しさをあらわにしていた曙。しかし、その表情からは“次に戦ったら自分が勝つ”という前向きな気持ちと自信も見てとれた。
けれど、3度目の対戦はなかった。2017年4月、病に倒れた彼は、長い闘病生活に入った。
訃報を耳にして最初に思い出したのは、初めて撮影したときに横綱が見せた穏やかな笑顔だった。規格外の巨体からにじみ出るあの優しさを、忘れることはできない。