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「ほんまは同じバレーをやってほしくなかった」高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…「藍は生まれた時からライバル(兄)がいましたから」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byTakahisa Hirano

posted2024/04/19 11:01

「ほんまは同じバレーをやってほしくなかった」高橋藍の母が明かす“反抗期ナシ”の少年時代…「藍は生まれた時からライバル(兄)がいましたから」<Number Web> photograph by Takahisa Hirano

世界最高峰のイタリア・セリエAで活躍する高橋藍(22歳)

 小学生の頃から身長が高く、中学に入っても順調に伸び続けた塁はアタッカーでエースとして活躍した。一方の藍は、中学入学後もなかなか身長が伸びず、リベロを務めていた。後にこの時に育まれたレシーブ力が評価されることは周知の事実だが、当時はそんな未来は見えるはずがない。不安に苛まれる中、それでも道を逸れずに歩めたのは、京都の強豪・東山高でエースとして活躍し、高校選抜に選出される塁がいたからだった。

 ごく自然に兄と同じ道を選んだ藍は、高校に入学してからようやく身長が伸び始め、身体の成長がついてくるとポテンシャルを遺憾無く発揮していく。

 転機は藍が高校3年の1月。兄の背中を追ってきた弟が、ついにそれを飛び越えた。

「塁は3年間、春高バレーに出場できなかったけど、藍と最後まで一緒に戦えて満足やったと思います。でも、藍が春高に出て優勝した。あの瞬間に初めて塁も弟が自分を超えたと思っただろうし、藍も兄を超えた、と。それまでは塁のためにバレーボールをやってきた藍が、初めて自分の目標を持って、塁を逆転した。塁は、自分が出られなかった春高で藍が日本一になる姿を見て悔しかったかもしれないけれど、私は2人でここまで来た姿を見てきたから、塁も藍も、春高の優勝で報われた思いがありました」

 ただ、この春高制覇もまだ序章に過ぎなかった。次々できることが増えた幼少期のように、目まぐるしいスピードで藍を取り巻く世界は激変していった。

後編に続く)

#2に続く
「おかんのハンバーグが一番好き」高橋藍の母が涙ながらに明かした壮絶な子育て期「中学生になっても、新しい靴を買ってあげられなくて…」

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