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じつはテニスで国体優勝、杉村太蔵が振り返る伝説の学生時代「史上最年少で北海道王者に」「名門・柳川からのスカウトを辞退」
text by
堀尾大悟Daigo Horio
photograph byYuki Suenaga
posted2024/04/13 11:00
コメンテーターとしてテレビで見る機会が多い杉村太蔵。じつは国体優勝の実力を持つ「テニス選手」としての話を聞いた
歯科医&テニス家系の「杉村家」
「生後間もない頃の僕に、親はラケットとボールを持たせたみたいなんです。そのくらい、テニスは生まれてからずっと身近にありましたね」
後日、取材に応じてくれた杉村は、笑顔でテニスとの出会いを語ってくれた。
出身は北海道旭川市。歯科医の傍ら「スギムラローンテニスクラブ」を開業した祖父は、旭川に初めて硬式テニスを持ち込んだ人物。さらに同じく歯科医の父も高校時代には全道大会でシングルス・ダブルス・団体の「三冠」の偉業を成し遂げた、北海道テニス史に名を刻む名選手だ。そんな、歯科医の家系であると同時にテニス家系でもある環境で育った杉村にとって、ラケットを手にしたのは必然のことだった。
「テニス以外の選択肢はなかったといえばそうですが、かといって他のスポーツをやりたいとは思わなかったですね。野球はピッチャーとバッターに分かれるけど、テニスはぜんぶ自分一人でできる。テニスって面白いスポーツだな、と純粋に思えました」
名門校監督が杉村に告げた一言
祖父と父からテニスプレーヤーのDNAを受け継いだ杉村少年はめきめきと頭角を現し、小学校、中学校と北海道ではほぼ敵なしに。ただ、全国ではそれほど上位まで勝ち上がれず、中学校では「全国中学生テニス選手権大会(全中)」でのベスト16が最高戦績だった。
その全中での杉村のプレーに、熱視線を送る人物がいた。柳川高校(福岡県)の坂本真一監督だ。
柳川といえば、福井烈、松岡修造、本村剛一などデビスカップ日本代表選手を数多く輩出してきた高校テニス界の絶対王者だ。その常勝軍団を率いる坂本は、ベスト16で敗退し、肩を落としてコートから出てきた杉村に声をかける。そして冷たいジュースを手渡し、こう語りかけた。