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ラグビーPRESSBACK NUMBER
戦力外通告→所属チーム不祥事が発覚…天才ラグビー選手を襲った苦難の連続「幸太朗と順平のW杯はバイトしながら見た」「引退の連絡はしていない」
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byJIJI PRESS
posted2024/04/02 11:01
フレンチ・バーバリアンズ戦で突進する日本XVの竹中祥(2012年、当時筑波大2年)
松島や小倉がW杯を戦っていた頃、竹中は新たな目標をみつけていた。地元の西多摩地区でラグビーフレンドシップアカデミーを運営しているNPO法人の清水佳忠代表から誘われ、同法人のシニアチームであるクラブチーム「SQUEEZE」のプレーイングコーチ兼アカデミーと東京西多摩ラグビースクールのコーチとして子どもたちの指導を始めたのだ。
「救われました」と竹中は言う。
「正直、現役の最後の頃はラグビーを嫌いになりかけて、引退したらラグビーからは離れたいと思っていた。でも、こんな僕にでも子どもたちは憧れの目で見てくれて、ラグビーを純粋に楽しんでくれる。ボールを持ってぶつかったり倒れたりするのが楽しくて、練習中も笑いが絶えない。一緒にやっていて、僕も自然と笑顔になって、ラグビーにまだ関わっていたいな、という気持ちになりました」
「今のキャラ、嫌いじゃないです」
傍観者からは、あの才能の塊が、31歳というプレーヤーとして脂ののった年齢でジュニア育成に転じていることに寂しさと、あえていえば違和感を禁じ得ない。だが竹中はそんな見方を笑って否定した。
「僕は自分の今のキャラ、嫌いじゃないです。こうなるに至った人生、どれが欠けてもこうはなっていない。そりゃあ、高校を出たときに幸太朗と同じように海外に行っていたら、プレーヤーとしては違う未来があったかもしれないけど、筑波に行ったから学べた、経験できたこともたくさんある。足首を捻挫したまま日本代表へ行ったことでケガを増やしたかもしれないけれど、小野澤(宏時)さんや廣瀬(俊朗)さん、大野(均)さんや菊谷(崇)さんと一緒にあれだけ濃い時間を過ごせたことは僕の宝物です。
最後は日野に行って、出場機会は少なかったけど、プロのラグビー選手としての生活も経験できたし、片岡(将)さんのようないろいろな経験を積んできた先輩と接することもできた。どれも、誰でもできる経験じゃない。傍から見たら悪いことの方が多かったように見えるかもしれないけど、僕自身はラグビーをやってよかったなと今本心から思っているし、謙虚でいられる。子どもたちの笑顔を見て、ラグビーっていいスポーツだな、と思いますもん」
本人が納得しているのなら、くどくど言わずにエールを贈るべきだろう。そう悟りつつ、インタビューの最後に、個人的な思いを伝えさせてもらった。
――引退試合というか、試合している姿をもう一度見せてほしいな。もしできたら、あと何年かしたら、あの花園のドローの再試合をしてくれないかな。
その問い(ですらないが)に、竹中は嬉しそうに「それ、いいですね」と答えてくれた。
2011年1月、31-31の同点で終わった桐蔭学園vs東福岡の一戦の延長戦――小倉も松島も、東福岡の布巻峻介も藤田慶和もまだまだ現役、実現するとしてもまだまだ先のことだろう。それでも、そのくらいの夢は持っていたい。
たくさんの経験を積んだ元チームメイトやライバルたちと一緒にピッチに立ち、疾走する竹中の姿を西多摩の子どもたちにも見て欲しい。何より、竹中に走って欲しい。爆走トライをあげて無邪気に喜ぶ姿をもう一度見たい。そう思った。
(前編から続く)