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甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平が卒業“進学校ではない”花巻東から東大合格者、スタンフォード…なぜ逸材続出?『ドラゴン桜』作者が語る佐々木洋監督「ある強み」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byL)Nanae Suzuki, R)JIJI PRESS
posted2024/04/04 11:01
ともに岩手・花巻東出身の大谷翔平(ドジャース)、佐々木麟太郎(スタンフォード大進学)
三田 僕自身はたいして役には立たないと思っています。正直、大谷君があれを真面目に書いたとは思っていません。きっと「書け」と言われたから書いただけですよ。大谷君とは何回も会ったことありますが相当にクレバーな男です。だからインタビューでも、無駄なことはあまり話さず、何を訊ねてもどこかで聞いたような話しかしない。自分の本心を隠して、なるべくツッコまれないように自分を自分でガードしている。対照的に、会話が面白く、サービス精神が旺盛で、気配りができるのがイチローさん。食事をする機会があると、2時間なら2時間を相手にあわせてプロデュースして、楽しませてくれる。起業家タイプのアスリートだったと思います。
大谷を“投げさせなかった”英断
――しかし、大谷も花巻東で佐々木監督の指導を受けたからこそ、現在の活躍があるのではないでしょうか。
三田 それは間違いない。大谷君があそこまで大きく成長できたのは、成長痛があった高校2年生の時に、佐々木監督が大谷君を寮でずっと寝かせていたことですよ。よくぞあの時に、大谷君に無理をさせなかった。あれだけの逸材ですから、試合で起用したくなるのが監督だと思うんです。大谷君が2年の夏の甲子園では、ライトで出場していましたよね。無理を強いる監督なら先発させていたと思います。結局、途中からマウンドにあげて、ボコボコ打たれてしまったんだけど、今になって振り返れば、大谷君を佐々木監督が守りましたよね。「もっと投げさせろ」という声に耳を傾けず、すべての批判を監督が受け止めた。
――そうした経緯を岩手の野球人は知っているから、佐々木朗希(千葉ロッテ)のいた大船渡高校の國保陽平監督も、岩手大会の決勝で令和の怪物を投げさせないという英断を下せたのかもしれません。
三田 僕もそう思います。