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野球クロスロードBACK NUMBER
「初出場センバツ初戦でノーノー達成」“常勝軍団”大阪桐蔭…無名時代のエースが語る“奇跡の瞬間”「鍼治療をしたら『あれっ、痛くない』って」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)Asahi Shimbun、(R)Genki Taguchi
posted2024/03/28 17:46
大阪桐蔭のエース平嶋の中学時代のコーチ・和田友貴彦氏。1991年センバツ初出場時のエースで、初戦からノーノー達成など日本に衝撃を与えた
「大学までで野球を辞めても、その先がない」
怪我と格闘しながらそう思っていた和田にとって、東芝府中野球部から誘いがあったのは僥倖だった。1年目こそ都市対抗野球1次予選で登板するなど、いつも通り「だまし、だまし」の相手をかわすピッチングで抑えられる試合もあったが、続かなかった。
2年目以降はほぼ投げられなくなった。部坂俊之、戸部浩、清水直行と、のちにプロ入りする有望なピッチャーが入部したこともあって、試合での和田は相手チームの情報を収集する「データ班」が役割となっていた。
大学時代にマークした最速148キロのストレートは、120キロ程度まで落ちていた。
そして、社会人4年目の99年。東芝府中野球部が解散し、東芝野球部と統合すると同時に、和田は引退した。
同世代はイチローら「黄金世代」。ケガがなければ…?
東芝の府中工場で社業に専念するようになって25年。現在は製品のコストや生産性など、経営の指標を決める部署に従事する。
和田と同世代には、イチローや小笠原道大、中村紀洋らプロの名選手が数多くおり、「黄金世代」と呼ばれている。もしかしたら、和田もそのうちのひとりに名を連ねていたかもしれないのだと思うと、悔やまれる。
そんな空想を伝えると、和田は「いや」とあっさりと否定した。
「確かに『肩を壊してなかったら、プロに行ってただろうな』とは思いますけど、結局、その後のことを考えたらね。もし、プロでダメだったら何の保障もないじゃないですか。昔はよく言われたんですよ。『もったいないよね』って。でも、社会人まで野球をやれたし、今もこうして会社で働けているんで、それでよかったなと思っていますけどね」
50歳となった今では、高校をはじめとする現役時代のことをあまり聞かれなくなったし、自分でも思い出すこともほとんどない。
だが、鮮烈な記憶はすぐに蘇る。
現代ではスマートフォンなどでインターネットに接続すれば、すぐに過去と繋がる。
1991年の大阪桐蔭、和田友貴彦。当時の彼と出会えば、誰だって唸る。
すごいピッチャーがいたんだな、と。