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1日10時間の猛練習、300球の投げ込み…《33年ぶりセンバツ出場》福島・学法石川 かつてのエースが語った“ウラ話”「今の子には響かないですよ」
posted2024/03/19 11:02
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
昨年の秋。川越英隆は母校である学法石川の快進撃を気にかけていた。
東北大会で1試合、また1試合と勝つたびに「いい試合を続けてほしい」と後輩たちへ健闘の念を送る。準決勝で八戸学院光星に0-1で敗れたものの、翌年から東北地区の一般選考枠がそれまでの2校から3校に増えることもあり、可能性を残してセンバツ発表の1月26日を迎えることができていた。
「絶対に、とまでではなかったんですけど、『選ばれるかもしれない』とは思いました」
母校の吉報こそリアルタイムで見届けることができず、知人からの連絡で知ったが、やはり安堵する自分がいた。
33年ぶりのセンバツ。
川越がエースとして出場した1991年当時の学法石川は、福島最強のチームだった。
33年前の「エースの記憶」
県内で最も古いとされる私立校は、67年に柳沢泰典が監督に就任してから頭角を現し、76年のセンバツで甲子園初出場。「ガクセキ」と呼ばれ名を高めたチームは、福島の覇権争いで常に中心にいた。
高校進学に際し「県外志向」だった神奈川県出身の川越ではあるが、学法石川はファーストチョイスではなかった。
「神奈川だと強いチームは多いんですけど、どの高校が甲子園に行けるかわからないところがありまして。自分は親元から離れて自立したいという気持ちもあったんで、県外の強豪校を探していました。だから、最初から学法石川というわけではなかったんです」
川越と学法石川を引き合わせたのは、ちょっとした偶然がきっかけだった。父親と繋がりのある同校職員から「野球部の練習会がある」と知らされ参加。そこで、柳沢の目に留まり入学する運びとなったのである。