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“史上最強の助っ人”バースが70歳に…阪神入団のウラにあった究極の選択とは?「バースに最も尊敬された監督」安藤統男が築いた日本一の礎
posted2024/03/13 11:02
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
BUNGEISHUNJU
広岡達朗に監督オファーを固辞され…
「大変なことが起こった。とりあえず大至急、日本に戻ってこい!」
教育リーグ参加のために渡米していた安藤統男に連絡が入ったのは、1981年秋のことだった。すぐにフロリダ州タンパからサンフランシスコを経由してホノルルまで飛んだ。その日はすでに飛行機がなく、翌日早朝の便で成田に到着。自宅に戻ることなく、梅田の球団事務所に向かった。
当時、安藤は阪神タイガースの二軍監督を務めていた。渡米前には「お前が帰国する頃には広岡が監督になっているからな」と言われていた。安藤が当時を振り返る。
「前任の中西太さんの退任が決まって、後任監督として広岡達朗さんに絞って交渉をしていたそうです。ところが、契約がうまくいかずに、“とりあえずお前にやってもらわなければ困るんだよ”となったけど、僕としても何も準備していないわけです。それでも、“タイガースのために頼む”と言われれば、引き受けるしかないでしょう」
チームにとっての非常事態だった。このとき阪神のオファーを固辞した広岡は、西武ライオンズの監督に就任する。同時に安藤は第22代監督として古巣を率いることになった。監督就任にあたって、球団は異例ともいえる「5年契約」を提示した。
「球団から“3年でチームを作ってほしい”と言われました。その上で、残りの2年で優勝を目指して勝負する。さらには、“お前は若いのだからその後も(契約を)3年延長して、また新しいチームを作ってほしいと思っている”とも言われました」