- #1
- #2
ボクシングPRESSBACK NUMBER
「ファイトマネーは副業扱い」サラリーマンボクサー阿部麗也30歳がついに世界王者に挑戦…上司や同僚もびっくり“上京ヤンチャ少年”の12年
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/03/01 17:03
サラリーマンを続けながら、プロボクサーとして活躍してきた阿部麗也(30歳)。周囲のサポートに感謝しながら、いよいよ世界タイトル戦に挑む
アマチュアでは芽が出なかった阿部だが、プロの世界はたしかに水が合っていた。福島でキャリアを積んだ阿部にとっては、自身の現在地を測る明確な指標がなかった。自ずとプロの世界は見上げた存在であると、思い込んでいたきらいもある。しかし、スパーリングで日本ランカーと拳を合わせたことで、こんな思いが芽生えた。
「あれ、俺、もしかしていけちゃうんじゃない」
きっかけはスパー中の些細な出来事だったが、本格的にプロを目指したのは、そんな思込みが取っ払われたからだった。
エリートじゃない天才がいても面白い
独特のリズムを刻み相手を惑わせる変則的なサウスポースタイルの根幹も、当時のこんな気づきの影響がある。
「スラムダンクの桜木花道って、たぶん漫画を読んだ人は天才という印象を受けない。でも、素人が体育館シューズでめちゃくちゃ動けたり、『なぜそこに桜木が!』みたいな感じで行動の予測が出来ない。エリートじゃなくてもそういう“天才”がいても面白いじゃないですか。なんとなくですが、そういうボクサー像を思い描いたんです」
19歳でプロになると決意し、これまで週1だったジム通いは、週6に増えて日常になった。上京する際に目的の1つだった夜遊びも、いつしか魅力に感じることはなくなり、ひたすらボクシングに打ち込んだ。
1年間みっちりトレーニングを積むと20歳でプロデビュー戦を完勝。だが、派手に「天才」とトランクスに刺繍を刻み臨んだ2試合目であっさり敗れた。自信は勘違いだったと気付かされたが、どこか安堵もあった。
翌年には敗戦をバネにし、フェザー級で新人王に。しかし、またも次戦でヨネクラジムの草野慎悟に判定の末、敗れ去ったのだ。これから、という時に敗北を喫する。そして、その度に成長を遂げる。阿部の軌跡は、自身が愛してやまない桜木花道に重なる部分もあった。
その後、11連勝で掴んだ日本タイトル戦で引き分けたあと、次戦のタイトルマッチで佐川遼(三迫)に完敗。あと1勝と迫りながらも、阿部の、そしてジムの念願でもあったチャンピオンベルトには届かなかった。私生活では結婚し、2児の父にもなっていた。この敗戦を機に、阿部は自身の進退についても頭を悩ませる。阿部の回想。
「大事なところで勝てないのはサラリーマンをやりながらだからじゃないか、と思ってしまう自分もいた。ジムも大手に移籍する方が、チャンピオンを目指すには近道ではないかとも考えました。そして、会社を辞めてボクサーに専念する決意を固めたんです」
上司にも退職の意志を伝え、周囲に報告の連絡の準備をしていた。そんな折に、ある一本の電話が阿部を踏みとどまらせるのだった――。
(後編に続く)