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ボクシングPRESSBACK NUMBER
井上尚弥とスパーして確信「世界は遠くない」自称・天才の阿部麗也30歳が“楽しくないボクシング”を続ける理由「サラリーマンだから耐えられた」
posted2024/03/01 17:04
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Kiichi Matsumoto
「ボクシングを楽しいと感じたことは今まで一度もないんですよ」
一日密着取材が中盤に差し掛かる頃、阿部麗也はふと思い出したようにつぶやいた。
2度の日本タイトル奪取の失敗。その原因は明確だった。アウトボクシングが主体で打たせずに勝つ。器用な阿部の肌に合ったスタイルではあったが、時にその器用さが仇になり、インに潜り込み打ち合うという感覚を失いつつあったのだ。こうした悪癖が、挑戦者の立場のタイトル戦では判定で不利に働いているという自覚もあった。
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サラリーマンとして働きながらボクサーを続ける限界を感じ始めていた阿部は、決断を迫られていた。
“会社を辞めない”という選択
仕事も辞め、ジム移籍なども含めて環境を変えないと自分は変われないのではないかーー。
そんな妄念が頭から離れない日々が続く。実際に支援を名乗り出るスポンサーも現れていた。支援者からの「ボクシングに専念すべきではないか」という声が強まったことも、阿部を一層悩ませた。ついに退職の意志を固め、上司の了承も得た。しかし、周囲に報告の最中、父・勝一さんからかけられた言葉で思い留まったという。
「これまで職場にさんざん迷惑をかけてきて、良い話が来たら『はい、辞めます』。そんな不義理な話はないのではないか、と。結果を出し、もっともっと会社に応援してもらえるようになって恩を返すまで頑張れ、と諭され、本当にその通りだと思ったんです。それからですかね、このスタイルでやるから価値があるんだ、と腹を括ったのは」
阿部はあえて“変わらない”ことを選んだ。むしろ以降は、その選択を肯定するため、周囲の期待に応えるために一層ボクシングに打ち込んできた節すらあった。阿部のトランクスには、「プレス工業」の文字が刻まれている。これは自ら、「無償でかまわないので入れさせて下さい。少しでも会社の宣伝になるなら」と、申し入れたものだった。
12年間、ほぼ毎日二人三脚で歩んできたKG大和ボクシングジムの片渕剛太会長は、そんな機微の変化を敏感に感じ取っていた。
「あいつね、たぶん私以外のミットを打ったことないんです。それくらい私のボクシングが染み付いている。阿部は吸収が早いから、ある程度は何でも出来てしまう。でも、本当に上を目指すならボクシングスタイルを変えないといけない、とは会長として感じていた。しかし、それをどう言葉で伝えるかは難しかった。
何度も『阿部のためにはもっと良いジムがあるのでは』とも頭を過りました。それが、2回目の日本タイトル失敗を機にスイッチが入り、ボクシングへ取り組むギアがもう1段階上がった。トレーニング中や、日々の顔付き、ステップインを恐れないというボクシングスタイルまで変わっていったんです」