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ボクシングPRESSBACK NUMBER
「ファイトマネーは副業扱い」サラリーマンボクサー阿部麗也30歳がついに世界王者に挑戦…上司や同僚もびっくり“上京ヤンチャ少年”の12年
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/03/01 17:03
サラリーマンを続けながら、プロボクサーとして活躍してきた阿部麗也(30歳)。周囲のサポートに感謝しながら、いよいよ世界タイトル戦に挑む
福島県・耶麻郡で生を受けた阿部は、小学生の頃に、将来はプロボクサーにという夢を描いた。しかし、福島の片田舎でボクシングに打ち込む環境は限定的で、『スラムダンク』を愛読する少しヤンチャな学生生活を送る。部活では陸上やバスケットボールに打ち込みながら、ピンポン球を相手にシャドーやフットワークをする程度だった。進学した会津工業高校ではボクシング部に進むも、高校通算で7勝8敗。インターハイ、国体、選抜にこそ出場したが、全国の舞台ではわずか1勝しか出来なかった。阿部が述懐する。
「自分のイメージと現実のギャップはめちゃくちゃありましたよ。練習もキツイし、合宿なんか逃げ出したくなるくらい辛かった。これだけやったから全国優勝くらいはいけるでしょ、と思っていたら、全く勝てないわけです」
それでも阿部の将来性を高く評価する関係者も存在し、実際に大学のボクシング部から声はかかった。だが、阿部は断りを入れ、故郷を離れて「プレス工業」へ就職する道を選んだ。
「高校レベルで勝てない人間が、プロで上を目指せないじゃないですか。それならボクシングはキッパリ辞めて、就職して、誰も自分を知らない都会の土地で遊びたいな、と」
上京してから1年間は、会社で寮生活を送った。夜はネオン街に足を運び、惹き込まれたこともある。仕事にも慣れ、友人との飲みや、ギャンブルなどにいそしむ日々は、スポーツに打ち込んできた18歳にとっては、目新しい経験ばかりだった。
しかし、心の奥底に、わずかな引っかかりがあったのかもしれない。本人曰く、軽い気持ちだったというが、フィットネス目的で会社の同僚3人と大和市にあるジムを訪れたのだった。
片渕会長「私はめったにプロを薦めない」
阿部が所属する「KG大和ボクシングジム」の会長を務める片渕剛太(50歳)は、阿部と同様にかつてはサラリーマンボクサーだった。花形ジムに所属し、フェザー級で最高ランクは日本8位。自身にして「大した才能はなかった」というボクサー人生だったが、ボクシングへの熱量から「日本一敷居の低いジム」を標榜し、2007年にジムを開業した。それだけに働きながらトップレベルを目指す難しさを深く理解している。
12年前、阿部との出会いについて声を弾ませる。
「ちょっと軽くて、明らかにボクシングを本気でやる感じではない。でもリングにあがると、日本ランカー3位とも遜色なくやれちゃう。自分の経験を踏まえて、私はめったにジム生にプロを薦めないんですよ。しかし阿部のスパーをみて、これは上を目指せる素材だ、と興奮しましたね。阿部と一緒にきた同僚の一人も、今では日本ランク1位となった。チャンピオンを一人も出せていなかったジムが、阿部との出会いで急に動き始めたんです」