誰も知らない森保一BACK NUMBER
医者が激怒「もう2度と来るな」“やんちゃだった”高校時代の森保一監督「左腕骨折でも試合出場」「ハジメ君は武闘派でした」サッカー部後輩が証言
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byAFLO
posted2024/01/31 11:40
1993年3月の日本代表合宿で。森保は当時24歳。この前年に初めて日本代表入りするまで、ほぼ“無名”の存在だった
居合わせた1学年下の後輩・樋口紀彦は、この場面をよく覚えている。現在、長崎市で立ち飲み居酒屋『ぽいち』を経営する森保の幼なじみだ。
「1回戦はギプスのまま出そうとしたら、硬くて危ないからと審判に認められなかったんですね。ハジメ君抜きでなんとか勝ちましたが、2回戦となると厳しい。だから溶かせと。僕たちがふやかして切ったけん、よう覚えてます。僕たちもハジメ君がいなかったら成り立たないと感じていたので、しょうがないと思って手伝いました」
「相手にヒザ蹴りを食らわせた」
森保はダンボールのような柔らかい素材で手を固定し、ピッチに立った。折れた左腕をかばいながらのため思うようなプレーをできず、試合には敗れてしまう。だがチームのため、骨折しても戦う姿は、確実に仲間の心を打った。
樋口は続ける。
「ハジメ君は文句ひとつ言わなかった。ほんとすごい人です。試合が終わって地元の病院に行ったときに、お医者さんに『もう2度と来んな』と言われてしまったそうですが(笑)。石膏を勝手に外したんだから、それはそうですよね」
森保の闘争心は仲間を守る場面でも発揮された。樋口は怒りを爆発させた表情をいまだに忘れられない。
「今では想像できないかもしれませんが、ハジメ君は試合で後輩がやられたら必ずやり返す『武闘派』でした。僕が一番覚えているのは佐賀の試合で後輩が削られたとき。僕たちが怪我の状態を心配していたら、ハジメ君は10メートルぐらい離れたところからバァッと走ってきて、相手にヒザ蹴りを食らわせたんです。それでもレッドどころか、イエローカードも出ません。そういう時代でした」
「熱い気持ちの男です」
長崎日大で20年ほど監督を務めた下田によれば、テクニックやスピードだけを見ると、過去の卒業生と比べても森保は平凡な選手だったという。しかし、心の強さだけは特別なものがあった。
現在は地元・諫早市で長崎FCの代表を務める下田は教え子を誇らしげに振り返った。