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「公立中学の部活出身でも青森山田の9番を背負えた」4度目の選手権優勝…今年のチームに“青森出身”が多かったのはナゼ?「初優勝の時は小学生」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2024/01/09 17:01
2年ぶり4度目の選手権優勝を達成した青森山田高校
「県外の強豪校(全国トップレベル)からも声がかかっていたんです。でも、小学校から知っていた(青森山田中の山本)虎や米谷が、止めて・蹴るの技術レベルがすごく成長していて、常に刺激をもらっていたし、同時に悔しくて仕方がなかった。自分がこの先、青森山田のユニフォームを着て全国制覇して、プロサッカー選手になるためには、この基準が当たり前の世界に飛び込んでいかないとなし得ないと思ったし、やれる自信もあった。
それに小学校、中学校と外から青森山田を観てきて、僕も先輩たちのように青森県に勇気を与えたいと思ったし、県内出身者だからこそ、子どもたちの大きな目標になれるかもしれないと思ったんです」
強者ぞろいの青森山田高サッカー部に加わることは3年間、トップチームで試合に出られなくなるリスクも付きまとう。小泉はそれを覚悟の上で門を叩いた。結果的に、先を行く山本に追いつき、正木監督から「青森山田史上最強のCBコンビ」と言われる選手に成長した。
「青森山田に挑戦するのは怖い。でも、それ以上に…」
出世番号と言われる「7番」を背負った2年生の谷川も、小泉と同じウインズFC出身だ。春先からボランチのレギュラーを務めたが、選手権前に負傷したことで今大会は決勝戦を含む3試合の途中出場に留まった。来季の主軸を担うと期待されている谷川だが、小泉とは異なり、青森山田中へのセレクションは参加していない。
「青森山田でプレーする自信がなかった。地元のクラブから県外の高校に進もうと思っていた」
しかし、青森山田中と対戦した時の“衝撃”が、ビジョンを変えた。
「チャレンジすることを怖がって避けていましたが、中1の時に(同じ1年生チームに)0-9と大敗したことがあって。その瞬間から『やっぱり負けたくない』と反骨心が生まれたんです。中3の時は、自分は怪我して出られなかったんですが、目の前でチームメイトが青森山田中のセカンドチームに0-4で負けたことでさらに燃えた。青森山田(高校)に入って、絶対にチャレンジすると覚悟を決めました」
谷川も小学校時代から知る仲間たちが青森山田中で急成長する姿に刺激を受けたと口をそろえる。
「青森山田にチャレンジすることは誰もが最初は怖いと思いますよ。でも、それ以上に大きな価値があるんです」