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「あんなのヤオ(八百長)だっぺ」地方出身プロレス記者の記憶…アンドレザ・ジャイアントパンダと映画『新根室プロレス物語』、本土最東端から全国区への情熱
text by
橋本宗洋Norihiro Hashimoto
photograph byNorihiro Hashimoto
posted2023/12/31 17:03
インタビューに答えるアンドレザ・ジャイアントパンダとリモート参加の新根室プロレス本部長・オッサンタイガー
「あんなのヤオ(八百長)だっぺ」
「無人島で人を見つけたような気持ちでした」
根室でプロレス好きの仲間たちに出会ったことについて、オッサンタイガーはそう振り返った。茨城県出身の筆者にも、その気持ちがよく分かる。少年時代の80年代は大プロレスブームだったが、だからこそ風当たりも強かった。なぜかことさらに「あれは真剣勝負じゃないんだぞ」と教えてくる大人がいた。
ゴールデンタイムの中継番組がなくなると、プロレスファンはマイナー趣味の物好きということになる。
「あんなのヤオ(八百長)だっぺ」
面と向かって言ってきた高校の同級生(野球部)の顔と声は今でも忘れない。まあ名前はとっくに忘れたが。東京で頻繁に会場観戦していれば仲間も見つかりやすいだろう。けれど地方ではそうもいかないのだ。それこそプロレスファンにとっては無人島。そこに仲間を見つけた嬉しさはどれほどだっただろう。
「みんな肩身の狭い思いをしてきたと思うんですよ。プロレスファンというだけで特殊な目で見られてしまうというか。だから新根室プロレスのメンバーが集まるのは必然だったんじゃないかなと思います」
「スポットライトを浴びると陽キャになれるんです」
オッサンタイガーによると、新根室プロレスのメンバーは「みんな陰キャ」だという。
「陰キャなんですけど、マスクをかぶってリングに上がって、スポットライトを浴びると陽キャになれるんです。マスクやコスチュームやお客さんの声援で変身できる。別人になれるんですよ。いや、陽キャのほうが本当の自分なのかもしれない」
オッサンタイガー自身もそうだ。高校時代に交通事故で右目を失明、兄のサムソン宮本とプロレスを見ることで救われた。女子選手のねね様はうつ病と月経前気分不快障害(PMDD)に悩まされていたが、新根室プロレスに参加することで「元気になっていった」。医者からも「プロレスを続けてください」と言われたそうだ。
レフェリーのロス三浦は、もともと東京でテレビの制作会社に勤めており、バブル期、過激なバラエティのスタッフとして現場にいた。富士の樹海で死体を探すという企画まであり「このままいくと人を殺める姿まで撮影することになるんじゃないか」と不安になった。そこから何もできなくなり、帰郷。兄で新根室プロレスメンバーの日景TDOに勧められて会いに行ったのが、サムソン宮本会長だ。そこから「都落ち」していた彼の人生に光がさしていく。
映画の中でとりわけ強いインパクトを残すのが、大仁田厚のパロディレスラー・大砂厚。母と姉を亡くしてから生活が乱れ、ゴミ屋敷のようになった家で暮らす。新聞配達員の大砂は「折込(チラシ)の集金」でサムソン宮本と知り合った。オッサンタイガーによると半ば強引に、もっと言えば勝手に仲間にしたようなものだという。