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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「この俺が病室でつらくて泣いたりして…」天龍源一郎73歳が告白する“闘病生活”の真実…柴田勝頼に打ち明けた「(支えは)猪木さんの姿だね」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAtsushi Hashimoto
posted2023/12/03 11:01
闘病を乗り越えた天龍源一郎、柴田勝頼が語り合う対談が実現した
闘病中の心を支えたのは、アントニオ猪木だった
柴田 入院が続いて先が見えないと精神的にキツい時、自分は復帰することだけを心の支えにしてきたんですけど、引退している天龍さんは何を支えにされてたんですか?
天龍 俺の場合は、亡くなる前の猪木さんの姿だね。あのアントニオ猪木が車イスに乗ってる姿やベッドで横になってる姿を最後の最後まで見せていて、「この人は度胸あるなあ」って、あらためて尊敬したくらいだから。やっぱあの人はすごい人だよ。「プロレスがなめられちゃいけない」って本気で思っていたんだろうね。あれだけ肝っ玉が据わった姿を見せられたら、俺もこの程度でへこたれるわけにいかないって思わされたよ。柴田くんも猪木さんのことを近くで見ていたから、やっぱり感じることがあったんじゃない?
柴田 自分の場合は、猪木さんが亡くなられたとき「何かをやらなきゃいけない」って、すごく思いましたね。その年の年末、猪木さんを追悼する『INOKI BOM-BA-YE×巌流島 in両国』という大会があったんですけど、そこに新日本から選手がひとりも出てなかったんですね。自分は事前に(イベントプロデューサーの)谷川貞治さんに話を聞いていたんで、「これはもうなんとしてでも出ないと新日本じゃなくなってしまう」という危機感を覚えたんですよ。だから「これで新日本をクビになってもいいや」と思って、自分で決めて出ましたね。
天龍 柴田くんは会社の意向に反しても出なきゃいけないと思ったわけか。
柴田 たぶん、自分がやらないと他にいないんですよ。他は猪木さんが創られた団体にいるという自覚がないというか。猪木さんからすれば「知らねえよ」ってことかもしれないですけど、「この闘魂の火は消しちゃいけない」という使命感みたいなのがあって闘いました。
天龍 猪木さんの時代の新日本のレスラーっていうのは、他の選手とは違う独特なものを持っていたよ。俺なんかも長州選手や藤波辰爾選手とやったとき、それをビシビシと感じていたよね。「ああ、新日本で育ったレスラーだな」っていうのを。
猪木プロレスを残す、という信念
柴田 そして今年の10月1日、(米国ワシントン州)シアトルでAEWが猪木さんのメモリアル大会をやって、そこにも日本人で唯一出させていただいたんです。
天龍 AEWでも猪木さんの追悼大会をやったんだ。かつての新日本らしさや伝統というものを、今は日本のファンよりアメリカのファンのほうが大事にしてるのかもしれないな。WWEにもホール・オブ・フェーム(殿堂)というものがあるけど、向こうはファンが歴史をリスペクトしてくれるんだよ。
柴田 それはすごく感じましたね。AEWのバックステージで、ディーン・マレンコさん(現AEWシニアプロデューサー。かつて新日本、全日本でも活躍)もずっとかつての日本のプロレスの話をされてましたから。
天龍 そういう意味で、今後、柴田くんが担う役割っていうのは、もっと大きくなっていくと思うよ。猪木さんのプロレスを残すということを信念を持ってやっているわけだから、周りで感化されていく選手も出てくるだろうし、大事なことだよ。今後はどうしていきたいの?