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「半分は勇気がなくて、半分は私をなめていた」《MGCで大逃げ》36歳・川内優輝の“プロ根性”…独走劇後に明かす五輪切符じゃなかった「本当の狙い」
posted2023/10/16 17:05
text by
和田悟志Satoshi Wada
photograph by
Asami Enomoto
まさに川内劇場だった。
自身130回目のマラソンとなった今回のMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)で、川内優輝は大胆な大逃げに打って出た。
「そういうつもりはなかったんですけど、会う人、会う人、コーチも選手も『川内くん今日の天気だと飛び出すんでしょ』って言うんで。じゃあ、飛び出してやろうじゃないか、と。煽られた感じですね」
36歳。百戦錬磨の川内は、国内外の様々なレースを走ってきた。
「今までペースメーカーのいるレース、いないレース、雨のレース、風のレース、ワールドマラソンメジャーズから世界選手権、アジア大会まで、いろいろなレースを走ってきた。そういう過去の経験を生かしたレースをしたい」
その中でも雨の日のレースは得意中の得意。
冷たい雨が降りしきるなか行われた2010年2月の東京マラソンは、マラソン4戦目で自己記録を一気に5分近く更新して先頭と17秒差の4位に入り、当時フルタイム勤務の公務員ランナーながら、トップランナーと戦えることを示した。
さらには、2018年に世界最高峰の大会の1つ、ボストンマラソンを日本人として31年ぶりに優勝した時も、激しい雨が降っていた。
今回のMGCも「天候に恵まれた」と振り返る。
そもそも、雨予報を見た時に「『おっ、いいじゃん!』と思った」と言う。この時点ですでに川内の中でスイッチが入っていたのだろう。
豪雨の中、スタートと同時に川内は先頭へ…
号砲が鳴ると、川内の独走劇が幕を開けた。
川内は前日まで『マラソンマン』や『奈緒子』など自身の愛読書であるマラソンの漫画を読んで気持ちを高めていた。奇しくも『マラソンマン』の序盤のクライマックスには、主人公の父親が30代後半にして東京のレースで優勝し、パリで行われる世界大会に出場するシーンが描かれている。
「漫画の中の主人公になったような気持ちで先頭を突っ走りました」
川内が飛び出すことは十分に予測できた。だが、独走が35km過ぎまで続くとは思いもしなかった。それは川内自身にとっても想定していないことだった。