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「もう俺はいいから外してくれ」西田有志が涙の直談判…男子バレー歴史的快挙のウラで豪快エースが苦しみまくった理由「イップスみたいな状態」

posted2023/09/07 11:15

 
「もう俺はいいから外してくれ」西田有志が涙の直談判…男子バレー歴史的快挙のウラで豪快エースが苦しみまくった理由「イップスみたいな状態」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

アジア選手権に向けた8月の代表合宿中にインタビューに応じた西田有志。苦しい思いを抱えたまま戦っていたネーションズリーグの時間を振り返った

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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Yuki Suenaga

バレーボールネーションズリーグで3位に輝き、主要国際大会で46年ぶりとなるメダルを獲得した男子バレーボール日本代表。その後もアジア選手権を制し、9月からはパリ五輪出場の切符を懸けたワールドカップに臨む。そんな躍進著しい日本代表の中で、色濃く明暗が分かれた2人のアタッカーがいた。10代の頃から競い合ってきた“左利きのオポジット”のライバル関係に迫った。〈全2回の1回目/後編へ続く〉

 1999年2月22日生まれの宮浦健人、24歳。
 2000年1月30日生まれの西田有志、23歳。

 躍進する男子バレー日本代表において、共に欠かせない存在だ。

 どちらも左利きで、ポジションは同じオポジット。身長は宮浦が190センチ、西田が186センチと上背だけを見れば決して両者とも高い部類ではなく、むしろ世界を基準に見れば圧倒的に小さい。

 それでも、互いにしなやかなフォームから繰り出すスパイクは鋭く、重い。なおかつ、跳ぶ。そして、どちらも観る者を魅了する。だから、ラリーの最後、彼らへとトスが託されれば思わず「行け!」と叫ぶ。決めろ、決めてくれ、頼む、と願いと祈りを込めて。

 何とも魅力的な選手が、同じ時代に2人もいる幸せ。本来ならそれで充分なはずなのに、同じ世代であるがゆえ、彼らは常に比較され続けてきた。

「一生、宮浦さんに勝てないと思った」

 先に評価されたのは、U19日本代表で主将を務め、2017年の世界ユース選手権で銅メダル獲得を果たした宮浦だった。

 宮浦がエースとして君臨する中、西田も同年のU19アジア選手権でメンバーに選ばれたが、宮浦より西田のほうがさらに小柄であることや、今では長所に挙げられる爆発力を当時は「好不調の波が激しすぎる」とマイナスにとらえられていた。その結果、世界選手権に出場する12名から落選。後に西田は「あの時の悔しさが原動力。同じことをしていたら一生、宮浦さんに勝てないと思った」と何度も語ってきた。

 西田はその後、海星高を卒業してすぐにVリーグのジェイテクトSTINGSへ入団。宮浦を含め大半の選手が高校卒業後に大学へと進学する中での決断だった。

 すると、西田はそこからシンデレラストーリーを体現するがごとく、一気にステージを駆け上がっていく。

 1年目からジェイテクトで出場機会を得ると、サーブやスパイクで試合に出るたび強烈な印象を残し、すぐに「あの選手は誰だ」と大きな注目を集めた。2018年には日本代表へ初選出され、ネーションズリーグや世界選手権に出場。トントン拍子で日本代表を象徴する選手へと成長を遂げると、2019年ワールドカップでは鮮やかな5本のサービスエースを含む6連続得点で自ら大会を締めくくった。そして、記憶に新しい東京五輪でも若きオポジットとして、29年ぶりにベスト8進出に貢献している。

【次ページ】 “快挙”の裏で苦しむ西田「全部バラバラ」

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