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格闘技PRESSBACK NUMBER
あのヒクソン・グレイシーがパーキンソン病に…“最強”に魅せられたカメラマンが明かす素顔と“会心の1枚”「朝起きるたびにこの写真を…」
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2023/08/19 17:01
1990年代の格闘技シーンを牽引したヒクソン・グレイシー。ヒクソン自身も「私の試合写真の中で間違いなくNo.1」と認める“会心の1枚”とは
ヒクソンが発病したのは2年前のことだという。ふりかかった現実を受け止め、今年の6月に公表するまで、それだけの歳月を要したことになる。その重さを考えると、私の胸は締めつけられた。柔術以外にも趣味のサーフィンなど、自然の中で体を動かすことが大好きなヒクソンにとって、この事実はどれほど無念で辛かったことだろう。
「死ぬには良い日だ」ヒクソンの鮮烈な記憶
ヒクソンを愛した日本のファンのためにも、彼がいかに素晴らしく偉大なファイターであったか、私から見たその生き様や素顔について少しだけ記しておきたい。試合においても、プライベートにおいても、彼との思い出はたくさんありすぎて、残念ながらここでは書ききれない。写真とともに、鮮烈な記憶をいくつか厳選させてもらった。
◆1994年7月29日 『VALE TUDO JAPAN OPEN 1994』
ヒクソンは試合の前、控え室で円陣を組み「今日は死ぬには良い日だ」という言葉を発してリングに向かう。万全の準備をして負けるなら仕方がないし、自分からギブアップすることはない。だからこそリング上の顔は常に穏やかで、とてもいまから試合をするようには見えなかった。日本で行われた彼の試合はすべて撮影しているが、腹筋や胸筋など、その筋肉の張り具合で判断すると、ヒクソンの肉体的なピークは90年代中盤だと思う。
◆1994年9月 ロサンゼルスでの単独インタビュー
ヒクソンは2カ月前に開催されたVALE TUDO JAPANの8名によるワンデイトーナメントで優勝。初戦は2分58秒、準決勝は2分40秒、決勝は39秒。3人を倒すことに要した時間は、合計でわずか6分17秒だった。
異次元の強さを目の当たりにした私は、彼のことをもっと知りたいという欲求を抑えることができず、ロサンゼルスへ赴いた。当時はUFCで弟のホイス・グレイシーが活躍していた。そんなホイスが「10倍強い」と認めるヒクソンの桁違いの強さの根源は、いったいどこにあるのか。単刀直入に質問をぶつけてみた。
「なぜ、あなたはグレイシー一族の中で最も強いのか」
ヒクソンはこう答えた。
「神から与えられた肉体と才能だと思う」
それはきわめて端的な答えだった。だが、天賦の才とたゆまぬ努力が噛み合うことにより、“最強”が作られることを私は知った。