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「7年前の早すぎる死…伝説の横綱・千代の富士は、なぜ“鋼の肉体”を極められた?」一番の稽古相手・琴風が証言する「筋肉が鉄のようで痛くてね…」
posted2023/07/22 11:02
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Getty Images
2016年、灼熱の名古屋場所を終えた7月31日。
昭和の大横綱として一時代を築いた、第58代横綱千代の富士がこの世を去った。享年61。筋骨隆々、鋼の肉体を持った「小さな大横綱」の体は、膵臓がんに侵されていたという。
尾張の地で熱い戦いを終えた力士たちが、蝉の鳴く声に送られて東京に戻る頃、突然駆け巡った訃報に誰もが言葉を失った。
千代の富士がにやり…「お前と稽古しに来たんだよ」
元大関琴風の尾車親方もまた、ひときわ大きな喪失感に襲われていた。
千代の富士が「22年の現役生活のなかで一番の稽古相手だった」と感謝するのが、元大関琴風の存在でもあったのだ。
ふたりが、互いにまだ十両力士だった1976年名古屋場所の初対戦。この日から千代の富士は対琴風戦で7連敗を喫す。押し相撲を身上とする琴風の一気の出足に、千代の富士は太刀打ちできなかったのだ。現在の相撲界では一門を超えた出稽古の交流は活発だが、当時は「さに非ず」。千代の富士の所属する九重部屋は高砂一門、琴風の所属する佐渡ヶ嶽部屋は二所ノ関一門。本場所の土俵や巡業地での稽古以外で、互いの胸を合わせることはなかった。
ある日のこと。墨田区の錦糸町にあった佐渡ヶ嶽部屋に、ゆかたを着た千代の富士がフラッと姿を現す。
「どうしたの?」
怪訝に思い、尋ねる琴風に、
「お前と稽古しに来たんだよ」
千代の富士がにやりと笑った。
尾車親方がその記憶を辿る。
「付け人も付けずにひとりでふらり、とね。今の八角理事長(当時の保志=元横綱北勝海)がタオル持ちで付いて来るようになったのは、だいぶ後のことですから。たぶん師匠だった北の富士さんが、千代の富士さんのことをうまくおだてて、『出稽古に行け、行け』と来させていたみたいなんですよね」
「勘弁してくれ」
以来、二所一門の連合稽古にも乗り込み、千代の富士はひとり、稽古相手を求め出稽古に明け暮れるようになっていった。
「今の相撲取りは本場所前の火曜日くらいで稽古を打ち上げて『あとは調整』などと言っているけれど、私と千代の富士さんは本場所の2日前までやっていましたから」