相撲春秋BACK NUMBER
「7年前の早すぎる死…伝説の横綱・千代の富士は、なぜ“鋼の肉体”を極められた?」一番の稽古相手・琴風が証言する「筋肉が鉄のようで痛くてね…」
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byGetty Images
posted2023/07/22 11:02
2016年7月31日に亡くなった千代の富士。写真は1983年の九州場所(11月場所)で
「千代の富士さんと言えば、肩の脱臼癖があったでしょ? 私との稽古で当たったところが悪くて脱臼しかかったのかなぁ。ある日の稽古で若い衆に腕をキュッと引っ張らせていたんです。癖だったから、逆に簡単に入ったのかもしれないね。『大丈夫かな?』『もう稽古、あがるのかな?』と様子を見ていたんですよ」
今日は稽古をやめたほうがいいのでは? と心配する琴風をよそに、千代の富士は「ちょっと待ってて」と一言発するや否や、土俵の外の砂を足でならす。おもむろに突っ伏すと、「ウワーッ! ウォーッ!」と、まるで獣のような声にならない声を上げながら、腕立て伏せを始めたのだった。
「とにかく、ガーッ! と速いんですよ。2、300回はやったんじゃないかな。それで『よしっ!』と言って、また稽古をする。その後も10番くらいやりましたもの。脱臼したら、普通なら安静にするものだと思っていたけれど、やっぱり千代の富士さんは常識を突き抜けていたというか……。たぶん大関から横綱になるくらいの時のことだったんですよね」
それくらいじゃないと、横綱にはなれないんじゃないかな。何よりも勝つことに貪欲だった人ですよ――と、往年の大関は穏やかな笑みで、今ひとたび盟友に思いを馳せる。
「小指が千切れた感じがしてね」
「そうそう、私のこの手のひら、見てみて」
と右手を差し出した。
「ほら、裂けた傷跡が残ってるでしょ? 三重県熊野での巡業のときのこと。千代の富士さんとの三番稽古で、肘と当たったのか、前みつと当たったのかわからないけれど、小指が千切れた感じがしてね。痺れていて気が付かなかったんだけれど、土俵下の関取衆がダラダラ流れる血を見て騒いでいた。小指がダラーンと反対側に向いちゃっていて、すぐに病院で縫いましたよ。治るまで稽古できなかったですけれどね。うん、確か、私が25歳くらいの時だったかなぁ。そうか、もうこの時から40年以上は経っているんだ――」
在りし日の大横綱の鋼の体を押し出し、まわしを掴んだその手のひら。
元大関は杖を傍らに置き、残る傷跡を静かに見つめていた。
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