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将来は「子どもたちにダンスを教えたい」 『金スマ』社交ダンス企画も話題を呼んだキンタロー。41歳の“夢”「諦めなければ限界は超えられる」 

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音部美穂

音部美穂Miho Otobe

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photograph byShiro Miyake

posted2023/07/19 11:04

将来は「子どもたちにダンスを教えたい」 『金スマ』社交ダンス企画も話題を呼んだキンタロー。41歳の“夢”「諦めなければ限界は超えられる」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

ものまね芸人でありながら競技ダンスの世界でも活躍したキンタロー。

2013年から始まった『金スマ』社交ダンス企画

――『金スマ』の社交ダンス企画が始まったのは2013年。最初のパートナーはTBSアナウンサーの山本匠晃さんでしたね。

キンタロー。 通常の金スマの「キンタロー。の人生をふり返る」企画の最後にせっかくだから社交ダンスを披露してみませんか? となりました。ちょうどその前のオンエアで山本さんがゴールデンボンバーさんの『女々しくて』を代役で踊り、ポテンシャルを出していたのでペアでやりましょうと。山本さんは社交ダンス初心者だったし、私の中ではすごく気楽に出演していた感じでしたね。

――でも、その後、ロペスさん(お笑いコンビ『ぱいんはうす』の岸英明さん)とペアを組み、最終的に世界選手権にも出場されました。

キンタロー。 お遊び感覚だったはずなのに、気づけばどんどんレベルが上がってきちゃって焦りましたよ(笑)。ロペスは大学時代に全日本学生競技ダンス選手権で準優勝した実績があるから、技術は一流です。

 でも、最初は馬が合わなくて。実は、『金スマ』でペアを組む前に、少しだけロペスに会ったことがあったんだけど、その時の印象が最悪で。彼、芸人になる前に、R-1の大会終わりに出待ちされて、いきなり「俺も社交ダンスしてるんスよ~」なんて話しかけられた。加えて「思ったよりかわいいじゃん」とか言われて。初対面なのに、ですよ? 「あんた誰?」って感じでしたね(笑)。そのあともTwitterのDMが送られてきたりしました。だから『金スマ』で新しいパートナーとして彼を紹介された時は、目玉が飛び出る思いでした。不安しかなかったです。実際、しばらくは互いに全然心を開いてなかったですね。

恩師の叱咤「もっと心開かなあかんで」

――その後、どのように打ち解けていったんでしょうか。

キンタロー。 2年ぐらいは全然コミュニケーションがとれてなかった。そんな時に助けてくれたのが、私の大学時代からの恩師である山本英美先生です。「世界大会を目指すなら、絶対に英美先生にメインコーチになってほしい」と私から番組側にお願いして、コーチを務めてもらっていたんです。

 英美先生には、私たちが打ち解けていないことをすぐに見破られて「あんたら、ペアになって2年も経つのに、連絡先も知らんの」って。「過去にいろいろあったかもしれないけど、今は大事なペアなんだから、もっと心開かなあかんで」って叱られたんです。

 それで、レッスンの後に先生が焼肉に連れて行ってくれて、「二人とも、握手しなさい。連絡先交換しなさい」って、むりやり握手して連絡先交換して。

――小学生の仲直りみたいですね(笑)。

キンタロー。 ホントそうですよね。この時、きちんと話を聞いたら、「出待ちした時は仲間といて気が大きくなっていた。すみませんでした」と謝ってくれて。それで私も「ずっと引きずってて、ごめんね」って謝ることができたんです。ロペスと和解でき、そこからはすごく関係性が良くなりました。

 ロペスは、私が「こうしたい」と思うことに寄り添ってくれる人です。テレビだとそれがおとなしく映り私が一方的に話しているように見えて「キンタロー。って、なんであんなに偉そうなの!?」なんて叩かれたりしましたが、試合に勝つために私も必死だったんです。

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キンタロー。

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