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将来は「子どもたちにダンスを教えたい」 『金スマ』社交ダンス企画も話題を呼んだキンタロー。41歳の“夢”「諦めなければ限界は超えられる」
posted2023/07/19 11:04
text by
音部美穂Miho Otobe
photograph by
Shiro Miyake
第3回では、学生時代から20年にわたり続けてきた競技ダンスの魅力や、『金スマ』ダンス企画の裏話を語ってくれた。(NumberWebインタビュー全3回の3回目/#1から読む)
◆◆◆
――競技ダンスは、ただ踊りを楽しむだけではなく、審査員が技術や表現力などを審査しますが、ペアで踊る面白さは、どんなところにあると思いますか?
キンタロー。さん(以下、キンタロー。) ペアだと、一人で踊るよりも速度や体のキレもアップして、パフォーマンスの幅がぐっと広がるんです。それがすごく楽しいですね。反対に、ペアだからこその難しさもあって、一番は「相手のせいにできてしまう」こと。「相手のリードが下手だからできない」とか、不満が出始めるとキリがない。そうやって逃げ道を作ると自分の進歩もなくなっちゃうんです。
ペアの相性はすごく大事なんですが、合う人を探すのは本当に難しい。特に学生時代は大変でしたね。部活内の限られたメンバーの中からペアを組むので、「私はもっと練習したいのに、相手が練習に来てくれない」ということもあったり。同じ熱量でやってくれる人を見つけるのは大変でした。
――大学卒業後は、プロダンサーとして数年間、名古屋でダンス講師をやっていたそうですね。同様に、講師をやりながらプロとして競技を続けている人は多いのでしょうか。
キンタロー。 日本ではそれが一般的ですね。海外だとスポンサーがついたりして、競技に特化した選手と、教えるのを専門にしている人はすみ分けしているんですが、日本の場合は、なかなかスポンサーがつかないので。それで、日本の競技ダンス業界では、多くのプロダンサーが講師の仕事で生活をしながら大会に出ています。海外の大会に出る時は長期間仕事を休むので収入は減るし、大変なんですよ。
夜中の公園で練習した“前田敦子ものまね”
――ダンスをやめたきっかけはなんだったんでしょうか?
キンタロー。 26歳の時に、首のヘルニアになったことです。首を激しく動かすネックアクションを売りにしていたので、もう自分が目指すパフォーマンスは出来なくなると思って。
――その後、29歳で松竹芸能タレントスクールに入り、翌年、芸人デビュー。ブレイクのきっかけになった前田敦子さんのモノマネでもキレッキレのダンスを披露していますが、ダンスを売りにした芸をしようと決めていたんですか?
キンタロー。 いえ、あっちゃんのマネをすることだけは最初に決めていて、「せっかくダンス経験者なんだから、ダンスも入れてみるか」ぐらいの感じだったんですよ。で、お笑いライブで『フライングゲット』の振り付けを即興で適当に踊っていたんです。
そうしたら、所属事務所の先輩の「みょーちゃん」(韓国ドラマのモノマネで『細かすぎて伝わらないモノマネ選手権』で優勝した経歴を持つ芸人)に、「適当に踊ってんじゃねえ! やるならちゃんとやれよ!」って怒られて(笑)。というのも、みょーちゃんはかなりのアイドルオタクなんです。それで、振り付けをちゃんと覚えて、家の近くの公園で夜、練習していました。当時住んでいた家は、狭すぎて練習できなくて。