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「論ずるに値しないね」原辰徳に一刀両断された内海哲也は何を思ったのか? 厳しい言葉を浴び続けた“普通の投手”が巨人のエースになるまで
text by
内海哲也Tetsuya Utsumi
photograph byNaoya Sanuki
posted2023/07/12 17:01
2010年10月、CSファイナルステージの中日戦で登板する内海哲也。同年は11勝(8敗)を挙げたものの、防御率は4.38と苦しんだ
上原浩治、菅野智之とは違う「エース」の形
上原浩治さんや菅野智之というジャイアンツの偉大なエースたちは、原監督からそこまで厳しい言葉をかけられてこなかったと想像します。
逆に言えば、そこまで言われたのは僕らしい“爪痕”というか……。僕は上原さんや菅野のような偉大なエースになれなかったということだと思います。
原監督は人を見る目が鋭くて、選手によって接し方を変えているという話は前述しました。実際、メディアを通じて厳しい言葉をかけられたことは僕の力になっていきました。
僕にはスピードボールもないですし、ウイニングショットもない。決して能力に秀でたピッチャーではありません。
一方、上原さんや菅野は誰が見ても「エース」という存在です。プロ入り1年目から、まさしくそうした能力を発揮していました。斎藤雅樹さんにしろ桑田真澄さんにしろ、歴代の「エース」と言われた方はそうだったと思います。
対して、僕は違いました。入団当初から「エース」と期待されるような能力はなかったので、実績を段々と積み重ねて、信頼を得ながらその座を勝ち取ることを目標にしていました。
斎藤さんや桑田さん、上原さんとは違った形の「エース」もある。もしかすると、そちらの「エース」のほうが強いのではないだろうか。僕自身はそう解釈していました。そういう存在になれるように頑張っていこう、と。
もし僕が周りの方から「エース」と言っていただけていたとしたら、実績を重ねながら段々「エース」に近づけたのだと思います。
初めての最多勝投手
自分らしいピッチングをして「エース」になっていきたいと胸に秘め、2011年は勝ち星を積み重ねていくことができました。
特に感慨深かった一戦が、8月30日、福井県営球場で先発した横浜戦です。この球場で投げるのは、高校野球が終わった3年生夏の福井大会決勝以来11年ぶりです。ファンの大声援を受けて“地元感”が心地よく感じられた中、8回途中無失点でシーズン13勝目を挙げることができました。高校時代に苦い思い出が刻まれた福井県営球場は、この日を境に良い記憶に上書きされました(笑)。
2011年シーズンは28試合に登板して18勝5敗、防御率1.70。プロ入り8年目で初めて最多勝を獲得することができました。最後の2勝は劇的な展開だったので、よく覚えています。