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千代の富士が叫んだ「貴乃花、痛かったらやめろ!」あの伝説の“貴乃花vs武蔵丸”のウラ側…「エイ、ヤーッ!」治療師の声が聞こえた前日
posted2023/06/29 11:01
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
KYODO
◆◆◆
治療師の「エイ、ヤーッ!」という声
「痛みに耐えてよく頑張った! 感動した!」
時の小泉首相が、総理大臣杯を授与する際に思わず叫んだ、あの貴乃花と武蔵丸の一戦――。2001年5月場所千秋楽、優勝決定戦を制した手負いの貴乃花が、阿修羅のごとくの表情を見せた。今なお往年の相撲ファンが伝説のように語り継ぐ大一番だった。
「今でもよくあの一戦について、『感動しました』と言われるけれど、傍から見られているのと、自分の心境はまた違っていたんです」
そう、のちの貴乃花は述懐している。
全勝で迎えた14日目の武双山戦。貴乃花は土俵際で巻き落とされ、黒星を喫す。
この時、右膝を亜脱臼し、半月板を損傷する重傷を負う。付け人たちの肩を借りて脚をひきずりながら、支度部屋に引き上げる姿を、大相撲中継のテレビカメラが捉えていた。
支度部屋にある風呂場で、相撲協会専属トレーナーに膝を入れてもらい、どうにか歩行は可能な状態となる。その夜、炎症で痛みが出、翌朝は自宅から病院に直行した。たまった血を抜き、二子山部屋に戻ると、待ち構えていた治療師の処置を受ける。小雨のそぼ降るなか、部屋の外で待つ報道陣の耳に、治療師の「エイ、ヤーッ!」という声が響いた。
「これでもう、引退が飾れるかも…」
もし貴乃花が休場すれば、2敗で追い掛ける武蔵丸が本割の取組で不戦勝=同点となり、続く優勝決定戦での対戦も不可能。大相撲史上初の「千秋楽不戦勝による逆転優勝」の可能性もあったが、師匠であり父でもある二子山親方(元大関貴ノ花)はもちろんのこと、誰もが千秋楽の休場はやむを得ない――出場は絶望的だと考えていた。
だが、「横綱としてでなく、ひとりの力士として」この時の貴乃花には、みじんも休場の意志はなかった。