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栗山英樹“じつは俳優を目指していた”高校時代…なぜ「先生を目指して国立大」に進んだのか? 本人が赤裸々に語った“30年前のエッセイ”
text by
栗山英樹Hideki Kuriyama
photograph byKYODO
posted2023/06/25 11:04
1984年1月撮影、プロ入り直前の栗山英樹22歳
「学校の先生なら英樹にもできるかも」
そして受験シーズンが近づいてきた頃、「野球での入学」に反対されるのなら、実力で入ればいいと思い、六大学の何校かを志望校に選びました。その時に、ついでといっては怒られるかもしれませんが、ホンの軽い気持ちで、東京学芸大学も受験することにしたのです。受験の動機といってもとくにはなく、遊びやスポーツで何かと影響を受けていた兄が、同じ大学に進んでおり、親近感を覚えていた程度です。
でも受験を決めてからは、そんないい加減な気持ちが少しずつ変わってきました。受験勉強の合い間などに、ふと自分の将来を想像することがあるのですが、そんな時、学芸大学に入って学校の先生になるのも悪くないと考えるようになったのです。
僕がそう考えるのも無理はありません。その時までずっと忘れていたのですが、僕は小学校時代に“将来の夢”というテーマの作文で、「将来はプロ野球選手になり、引退後はプロゴルファーになり、年をとったら学校の先生になりたい」と書いているのです。
何と欲張りな子供だったのか、と自分でもあきれてしまいますが、あるいは僕の気持ちの中に、潜在的に“先生願望”のようなものがあったのかもしれません。
現在は中学校で教鞭をふるっている兄が、当時大学の三年生。教育実習で子供を教えた経験話を聞いても、先生という職業はとても魅力的に思えました。自分が何かを教えることで、子供たちがホンのわずかずつではあっても、確実に成長する。その手応えがたまらないというのです。
そんな兄の話に、気持ちはさらに大きく傾いていきます。両親も「学校の先生なら英樹にもできるかもしれない」と双手をあげて大賛成です。こうして僕は、大学受験を境に、野球選手から学校の先生へと志望を大きく転換させるのです。
野球への思いが完全にフッ切れたわけではありませんが、不安のつきまとう野球生活と、先生という職業の魅力や安定性、それに両親の満足感などをいっしょくたにしてハカリにかけると、後のほうが重かったということでしょう。
そんな複雑な気持ちの整理を迫るかのように三月のある日、東京学芸大学から合格通知が届けられました。学校の先生を目標にした大学生活の始まりです。
〈つづく〉