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大相撲PRESSBACK NUMBER
大横綱・千代の富士の引退Xデー取材にマスコミが押し寄せ…“35歳、手負いのウルフ”が土俵人生の窮地で見せた「信じられない強さ」とは
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byGetty Images
posted2023/04/02 17:10
人気と実力を兼ね備え、角界で初めて国民栄誉賞を授与された第58代横綱・千代の富士。本人の証言を交えて、稀代の名横綱の現役晩年に迫った
「自分にとっては思ってもみなかった大きな賞で恐縮したよ。現役でいただけたということで、もっと頑張って期待に応えられる成績を残すことが、この賞に対する返礼なのかなと。そんな気持ちになったよね」
後年、筆者が行ったインタビューでそう振り返ったかつての大横綱も、大きな勲章はさすがに身に余る栄誉ととらえていたようだが、当時幕内最高齢の34歳と“老齢”に差し掛かりながらも、さらなるモチベーションとなったのもまた事実であった。
優勝32回の“大鵬超え”が迫るなか…土俵人生の窮地に
直後の九州場所は大関小錦に賜盃をさらわれ、九州場所連覇は8でストップしたが、通算1000勝という次なる目標を掲げる“ウルフ”は邁進を続け、年明けの2年初場所は独走で30回目の優勝を成し遂げると、続く春場所7日目、花ノ国をすくい投げで退けてついに目標を達成。角界に金字塔を打ち立てた。
夏、名古屋場所といずれも大関旭富士と優勝を争いながらわずかに及ばなかったが、周囲は史上最多32回(当時)の優勝を誇る“大鵬超え”の期待が高まっていた。しかし、直後から状況は一変する。
場所後の夏巡業で左大腿に肉離れを発症させて秋場所を全休。秋巡業でも相撲を取る稽古はできずに回復は大幅に遅れ、九州入りしても満足な稽古には程遠く「せめて10勝できれば」というのが偽らざる心境だった。
宿舎には普段の倍以上の報道陣が押し寄せた。もはやその存在が相撲界だけには収まり切らなくなっていた国民的英雄の“引退Ⅹデー”の先取り取材のためだ。そんなムードに拍車をかけていたのが、曙、若花田、貴花田ら次世代ホープの台頭だった。