2022年M-1・全員インタビューBACK NUMBER
「じつは半年間解散していた…」M-1キュウが明かす過去、“錦鯉に呼び出された夜”「こうして僕らは爆笑問題の事務所タイタンに救われた」
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKeiji Ishikawa
posted2023/02/26 11:02
結成9年で初めてのM-1決勝だったキュウ。ぴろ(ボケ・ネタ作り担当、写真左)と清水誠(ツッコミ担当)。ウエストランドと同じタイタン所属
ぴろ 僕はかつて一度、キュウから逃げた。でも結局、キュウで行き切るしかないと覚悟して戻ってきた。そのときに決めたんです。もうキュウからは逃げない、って。
清水 僕は解散後、ピンでやってたんですけど、これ以上ダメだろうと限界を感じていて。芸人を辞めようかなとも思っていたら、ぴろがイエティを解散すると言うので、そこで思いとどまったという感じでした。
――SMAの先輩だった錦鯉の渡辺(隆)さんに呼び出されて話をしたというのは、その頃の話なんですか。
清水 いや、それは一度、解散したときですね。解散することが隆さんの耳に入って、新宿のホルモン焼屋に誘われて。まあ、待てよ、と。でも僕らの中ではもう決定事項だったので。
ぴろ そのあとで、(長谷川)雅紀さんからは、隆さんが、M-1の決勝に行くなら俺らかキュウだって話してたんだよって聞かされましたね。
――錦鯉はその頃からいわゆる地下ライブではすごい人気だったらしいですもんね。
ぴろ 錦鯉さんは何も変わっていない。昔からずっとおもしろくて、それをただやり続けて、タイミングと運が重なって優勝できた。M-1王者って、そういうもんなんじゃないですか。やることさえやっていればいつかたどり着くところ。ウエストランドさんもそうですからね。
なぜSMAを辞めたのか?
――その錦鯉が、当時からキュウの才能を見抜いていたわけですね。差支えのない範囲で構わないのですが、そんないい先輩にも恵まれていたSMAをなぜ辞めたのですか。
清水 今はわからないですけど、その頃、漫才はこうじゃなきゃダメだみたいなのがあったんですよ。コントにはすごく寛容なんだけど、漫才はわかりやすいボケと、わかりやすいツッコミじゃないと受け入れられない感じがあって。
ぴろ その頃のSMAに僕らはハマってなかった。だから、早く結果を出したかったんですけど、なかなか難しくて。事務所に所属していてもフリーと変わらないような立場だったので、だったらいったんフリーになって自分たちの力で何とかしようということになったんです。
――そこから、オフィス北野を経て(2017年11月~18年5月)、どうやってタイタン(2018年9月~)にたどり着いたのですか。