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アントニオ猪木が最後に食べた料理は「オークラのヴィシソワーズ」だった…盟友が明かす“猪木の愛した逸品”「オニオンリング、できる?」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/20 11:03
「オニオンリング、できる?」の一言で生まれた逸品。アントニオ猪木はいつも笑顔で「猪木スペシャル」のフライド・オニオンリングを食した
「猪木さんとは、30分会話がなくても大丈夫」
20年前、35歳でマネジャーになったとき、萩さんは猪木に言われた。
「何があっても笑っていなきゃだめだよ」
だから、萩さんはいつも笑うように努めた。
猪木にはマメなところがある。よく旅先から絵葉書を送ってくれた。北朝鮮やパラオからも、それらはオークラに届いた。オーストリアのバドガシュタインという、レアなところからも届いた。「元気があれば、旅もできる」なんて書いてあった。
「何かあるごとに、猪木会長がいるところにズッコさんに呼ばれて、ご飯に連れて行ってもらって……。また、夜に『ちょっときて』って呼ばれて。呼ばれたら行かないわけにはいかないでしょう。猪木さんと月4回くらいのペースで、カラオケ勝負をしていたこともありました」
萩さんは猪木に呼び出され、いろいろな場所に同席した。
「ランチに行くから、ということで議員会館まで足を運んだら、なんと富津までアクアラインでドライブ。ハマコー(浜田幸一)さんが通っていた中華店でした。あんかけのエビ蕎麦、エビが器から飛び出していましたね。他にも目黒の辛い四川料理の『龍門』とか、五島牛のレモンステーキを出す『フォレスト』とか……」
また、こんなエピソードも教えてくれた。
「IGFの時、両国国技館で頼んだばかりのビールを手に持っていたら、タイガー・ジェット・シンと目が合っちゃって、サーベルで思いっきり一撃されました。背中のあざは3カ月たっても消えませんでしたね(笑)。花見の時、裸になって猪木会長にその傷を見せたら、葉巻を手にニコニコ笑っていました」
萩さんと猪木のストーリーは尽きない。
「退院後の毎週のランチはいい思い出です。猪木会長は誰にでも優しい。偉ぶらない。私が言うのもなんですが、すごく謙虚な人でした。ふたりきりの時間がいっぱいありました。猪木会長と長くいたことがある人はわかると思いますが、30分、全く会話がなくても大丈夫でした。うちの娘たちは小さいときから会っているから、親戚のおじさんみたいに思っていますよ」
猪木はいつも笑っていた。そして猪木が「笑え」と言ってくれた。だから、萩さんも笑う。
「サービス業をやっている以上、笑いは必要ですから」
萩さんは猪木にこう褒められたことがある。
「頭の形、いいよね。萩さんは髪の毛なくてもいけるよ。オレは似合わないけれどね」
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