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「ムーンサルトは小学生の時からできていたよ」武藤敬司の新日入門があと1年早かったら“ヘビー級のタイガーマスク”が誕生していた? 

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高木圭介

高木圭介Keisuke Takagi

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photograph by東京スポーツ新聞社

posted2023/02/21 17:00

「ムーンサルトは小学生の時からできていたよ」武藤敬司の新日入門があと1年早かったら“ヘビー級のタイガーマスク”が誕生していた?<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

「タイガーマスク(佐山聡)を全米でデビューさせる」と野望を明かしていたアントニオ猪木。師匠の夢を実現したのが、グレート・ムタだった(写真は米サウスカロライナ・1989年グレート・ムタvsリック・フレアー)

 デビュー当時からムーンサルトプレス(月面水爆)を使用していたり、1回目の凱旋帰国時(86年10月)からトップロープを掴んで大車輪が如く、回転してリングインする仕草など、目立つ部分だけではない。武藤のマットさばきは柔道出身者(とくに重量級)にありがちな、プロレスのリング上では時にどん臭くも映る「すり足」の癖が見られなかったり、低い前傾姿勢をキープしたまま対戦相手に潜り込むようにして入る足を取るタックル、バックに回る動作など、どれも190cm近い体躯を持つ選手とは思えないスムーズさ。

 前座修行もそこそこに、即戦力としてデビューからわずか1年で海外修行に出されたのも納得の逸材だった。

 武藤がアクロバティックな動きを楽々とこなしてしまう土壌は少年時代の仮面ライダーごっこによって培われたそうだ。「仮面ライダーごっこで、高い場所から飛び降りたりして遊んでいた。ムーンサルトなんかは小学生の時からできていたよ」とのこと。

 仮面ライダーの本放送当時(71~73年)、ライダーごっこによる事故が多発して、ついには本郷猛(藤岡弘)が劇中にて「仮面ライダーのライダーキックは仮面ライダーだからできるんだ。子どものお前たちには無理だ!」と子どもたちにライダーごっこ自粛を促すシーンまで放送されるに至ったが、山梨県富士吉田市在住の武藤少年には届いていなかった模様だ……。

武藤がタイガーマスクになる可能性もあった?

 そんな武藤は21歳でプロレス入門を果たしているが、その入門があと1年ほど早かったりしたら、時期的に本当に「ヘビー級のタイガーマスク」に仕立て上げられていた可能性は高い。

 83年8月の佐山タイガー引退以来、空席となっていたタイガーマスクの大名跡は、武藤と同期の橋本真也が若手時代に本気で変身を狙っていたらしいが、誰も白羽の矢は立てず。約1年後、2代目のタイガーマスクとなったのは、武藤と同い年のライバル・三沢光晴(当時、全日本プロレス)だったというのも運命を感じさせる。

 プロレス界には昔から、計画的にスターを作ろうとすると失敗し、計画性もなく成りゆきや思いつきで場当たり的に生まれたモノがヒットしてしまうジンクスが存在する。2度目の米国修行時代に生まれた武藤の化身「グレート・ムタ」もそんな感じだった。

【次ページ】 “猪木の夢”を実現したグレート・ムタ

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