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藤井聡太「六冠誕生」を「10連覇中の勝率.750」渡辺明棋王が阻むか…棋王戦の敗者復活戦は「名物記者と柔道」がきっかけ? 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/02/14 17:00

藤井聡太「六冠誕生」を「10連覇中の勝率.750」渡辺明棋王が阻むか…棋王戦の敗者復活戦は「名物記者と柔道」がきっかけ?<Number Web> photograph by JIJI PRESS

棋王戦第1局は藤井聡太竜王が勝利し、一歩リードを取った(代表撮影)

田丸七段も挑戦者決定戦で大山十五世名人に挑んだが

 1989年度の棋王戦で私こと田丸七段は、森下卓六段、中原棋聖らに勝って準決勝に進出し、大山十五世名人に敗れて敗者復活戦に進んだ。そして、米長邦雄九段、羽生竜王らに勝ち、挑戦者決定戦(当時は一番勝負)で大山十五世名人と再戦した。勝てば南芳一棋王に挑戦できる。

 1990年1月8日が米長戦、19日が羽生戦、29日が大山戦という対局日程だった。正直なところ、短期間のことで心の整理がつかず、タイトル戦に初登場する実感がなかった。私は順位戦でB級1組に計8期在籍していたが、ほかの棋戦で目立った実績はなく、タイトル戦に登場していいものかと、そんな戸惑いもあった。

 私は大山十五世名人との対局で完敗した。重要な一番での大山の強さと集中力はさすがだった。一方の私は、腰がまったく据わってなかった。

 大山十五世名人は最年長の66歳でタイトル戦に登場したのだった。

 最後の写真は1976年2月、共同通信社が主催した将棋と囲碁の棋戦の合同表彰式。前列の右から2人目は、囲碁の大竹英雄名誉棋聖。左から2人目は、将棋の原田泰夫九段。後列の左から3人目は芹沢博文九段。同6人目は、担当記者の田辺忠幸さん。その右は、私こと田丸昇五段(当時)。

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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