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“賭け将棋の鬼”からプロに…「命と引き換えなら安いもんじゃ」“元奨励会の筆者”とベテラン棋士が知る元真剣師・花村元司の意外な素顔

posted2023/02/23 17:01

 
“賭け将棋の鬼”からプロに…「命と引き換えなら安いもんじゃ」“元奨励会の筆者”とベテラン棋士が知る元真剣師・花村元司の意外な素顔<Number Web> photograph by Masaru Tsurumaki

いわゆる「真剣師」から棋士になった花村元司さん。伝説の人物の素顔を追った

text by

片山良三

片山良三Ryozo Katayama

PROFILE

photograph by

Masaru Tsurumaki

人呼んで「東海の鬼」。賭け将棋で生計を立てていた真剣師から棋士となり、戦中と戦後、昭和の時代を飄々と生き抜いた。かつての弟子でもある筆者が、師匠が盤を挟んで競ったライバルと、誰よりも可愛がった弟弟子を訪ねて、その実像に迫った。小山怜央アマの棋士編入試験合格で話題の中、かつて奨励会を経ずにプロとなった“異端の棋士”を描いたNumber1060号「[弟子と好敵手の回想]正直親切――花村元司、鬼の素顔」より全文を掲載します。

 里見香奈女流五冠が挑戦中の棋士編入試験。続いて小山怜央アマが受験資格を取得し、奨励会未経験者の挑戦として、こちらも注目されている。

 その遥か先駆けとして、1944年(昭和19年)に異例の編入試験に挑み、現役棋士相手の高い壁を4勝2敗で突破して付け出し五段でプロ入りを決めたのが花村元司だった。

 人呼んで東海の鬼。元真剣師という経歴だけで怪しさたっぷりだが、その風貌も斬れ味鋭いスキンヘッド。初めて見る人なら、どんなに怖い人だろうと身構えてしまうのも仕方がない。しかし実際は柔和で人懐こいお人柄。'73年の春に15歳6級で奨励会入りした私は、師匠花村元司の穏やかな表情しか知らない。

妖しさ? 怖さ? そんなのは全然ない

 '78年(44年前!)に自身初のA級入りをかけて、順位戦の真剣勝負で花村と戦った石田和雄九段に話を伺った。

「なにしろ30歳も年上ですからねえ。大変な勝負将棋なのに、負けるはずがないという油断と気負いがありました。私が7連勝で、花村先生が6勝1敗。勝てばほぼ昇級が決まる形だったのに、互角の終盤戦から勝手に乱れて負けました。翌日の新聞に『石田、乱手連発で自滅』と書かれたのはいまも忘れられない苦い思い出です。結果、その年は花村、大内(延介九段)、私が8勝3敗で並んで、順位の差でお二人が昇級して、私は次点。その翌年に昇級できたからよかったものの、痛すぎる敗戦でした。花村先生は60歳でA級に復帰。いま考えても大快挙です。独特の勝負勘を備えておられた方で、順位戦では毎年降級候補に名前があがるのに、急所だけは見事に押さえて上位を維持してしまう。妖しさ? 怖さ? そんなのは全然ない。常に飄々とされていて、周囲をいやな気分にさせることがない人です。盤を挟んでもそれは同じでした」

「強すぎるという意味で鬼とされたんだと」

 エピソードトークはさらに続く。

「札幌の将棋のイベントに花村先生が初めて呼ばれたときのことでした。招待する側が『東海の鬼がついにやって来る!』と大騒ぎになったんですね。接待に落ち度があったら大変というわけで、店はどこにしようか、酒は最高級のものを用意しなければ、キレイどころも揃えてと、まさに万全の準備で待ち構えたそうです。ところが、満面に笑みをたたえて席についた花村先生は、『私はジュースで』って。実はアルコールを受け付けない人だったんです。皆さんが拍子抜けしてひっくり返っちゃった姿が目に浮かぶでしょう?」

 青森ではこんな逸話もあったという。

【次ページ】 「それならよろしい。勝負事はなんでも勝たなあかん」

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