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WBCを一度は辞退…“絶不調”福留孝介はなぜ“あの代打決勝弾”を放てたのか?「打撃フォームを変えていて…」「あの人たちの影響もあった」 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byNaoya Sanuki

posted2023/03/10 11:02

WBCを一度は辞退…“絶不調”福留孝介はなぜ“あの代打決勝弾”を放てたのか?「打撃フォームを変えていて…」「あの人たちの影響もあった」<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2006年WBCの準決勝、韓国戦。0-0の7回1死二塁、代打で登場した福留孝介の一振りが、決勝2ランとなった

 そもそも福留はWBC日本代表への参加を辞退していた。2005年の11月に王貞治監督の下、代表チーム編成が始まった段階で、打撃フォームの改造に着手していたからだった。すでに中日ドラゴンズの主砲であり、リーグを代表する打者だったが、さらなる確実性を求めて、動きのムダを削る新打法に取り組んでいたのだ。

「頭でわかるだけでなく、体が勝手に反応するくらいまでにならないと勝負できない。かなり時間が必要なことはわかっていたから、最初は辞退させてもらった」

世界の王に2度も頭を下げられる

 WBCはプロ野球より1カ月も早い3月初旬に始まる。到底間に合わない。またメジャーで活躍するイチロー、松井秀喜が中心の代表で、外野手は開幕前の重要な時期に実戦に出場できないリスクもあった。

 ところが態度を保留していた松井が年末に辞退を表明したことで再度、福留に打診がきた。世界の王に2度も頭を下げられる格好となっては断ることはできなかった。

 自分の体が新たな感覚をつかむのが先か。暗中模索のまま大会が終わるのが先か。福留は時間的なビハインドをひっくり返す戦いを決断した。ただ結局、その差は埋められないまま終わってしまった。それが福留が抱くやるせなさの正体だった。

 バスは準決勝が行われるサンディエゴへと差し掛かっていた。アメリカ対メキシコのグループ最終戦はこの日の午後4時半に予定されていた。だから屈辱的な敗戦から一夜明けた代表のメンバーたちはゼロに近い可能性をぶら下げたまま、昼過ぎには2次ラウンドの会場だったアナハイムを出発し、現地へと向かっていたのだった。

「あの人たち」の影響もあった

 メキシコとの国境近い港町に着くと、福留はバットを担いで球場へ向かった。準決勝の会場であるペトコパークには海風が吹き抜けていた。一緒にきていた選手たちが「この球場は海風の影響でホームランが出にくく、ピッチャーズ・パーク(投手有利の球場)と呼ばれているらしい」と話題にしていたが、福留はそれを何となく耳に入れながらスイングを始め、やがて自分だけの世界に没入していった。このチームに合流した時から、やるべきことはひとつだというシンプルな思考があった。

【次ページ】 チームはレギュラーだけで成り立つものじゃない

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