酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
藤浪晋太郎の“大谷翔平級”アスレチックスでの覚醒に期待したい…「フジと呼んで、フジサンみたいに!」と英語でつかみはOK
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph bySipa USA/JIJI PRESS
posted2023/01/21 17:02
阪神タイガースからアスレチックスへ。藤浪晋太郎は心機一転メジャーの舞台で覚醒となるか
〈Hi,nice to meet you everyone, I'm Shintaro Fujinami. Please call me FUJI, like Mt.Fuji.〉
筆者は英語にそれほど堪能ではない。ただ藤浪は時折笑顔を見せながら、アメリカのメディアにもはっきりわかるであろうレベルの英語で自己紹介をした。これには隣にいた敏腕、あるいは豪腕エージェントのスコット・ボラスも安どの表情を浮かべた。
もちろん、この会見だけで彼の未来を占うことはできないが、少なくとも藤浪は上々のお披露目をしたとはいえるだろう。
プロ3年目までの藤浪と大谷の投手成績を比べてみると
藤浪晋太郎は2012年、春夏の甲子園の優勝投手である。春は1回戦で大谷翔平を擁する花巻東を9-2で退け、決勝では現ロッテの田村龍弘、阪神の北條史也が中軸に座る光星学院を7-3で破った。夏も決勝で光星学院と対戦し、3-0で完封した。
相方の捕手は1学年下の森友哉(今季からオリックス)である。頭抜けた長身の藤浪と小柄な森友哉の凸凹バッテリーが快挙を成し遂げたのだった。
この年のドラフトでは阪神、オリックス、ヤクルト、ロッテの4球団競合となったが阪神が当たりくじを引き当てた。
デビュー当初、阪神タイガースは「藤浪を大事に育てる」方針だった。当時の中西清起投手コーチは、概ね藤浪を100球前後で降板させた。その甲斐あって藤浪はこの年10勝6敗、そしてデビューから3年連続で2けた勝利を挙げた。
同期の大谷翔平は高3の時点でMLB挑戦を表明するも、日本ハム球団に説得されて入団。1年目から二刀流で活躍した。しかし投手としての成績で言えば、3年目までは藤浪の方がやや上だった。
<プロ入り後3年間の通算成績>
・藤浪晋太郎
77試合35勝21敗499.2回519奪三振、防御率2.86
・大谷翔平
59試合29勝9敗377.2回421奪三振、防御率2.71
3年目の2015年には大谷は最多勝、最優秀防御率のタイトルを獲得。藤浪も221奪三振で奪三振王のタイトルを獲得。投手としての2人は互角のライバルだったと言えよう。
直近7年も決して投げられていないわけではなかったが
藤浪の野球人生が暗転しはじめたのは2016年のことだ。
この時期には、藤浪はランディ・メッセンジャーとともに先発2本柱となっていた。前年、両リーグ最多の3374球を投げた藤浪は、開幕3連勝したもののその後1勝4敗とピリッとしないマウンドが続いた。
この年に就任した金本知憲監督は7月8日、甲子園での広島戦で初回から3イニング連続で失点した藤浪を8回まで投げさせた。失点8、自責点6、投球数161、メディアは「懲罰投球」と書き立てた。昭和の頃は不甲斐ない投球内容の投手を大量失点しても降板させないことはたまにあったが、「球数」への意識が高くなった最近はほとんど見られなくなっていた。
2016年以降、藤浪晋太郎の成績は低迷した。