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<箱根駅伝4位>走れなかったキャプテンのために…国学院大監督も涙、下級生が見た主将・中西大翔の背中「大翔さんを胴上げして、泣かせたかった…」
posted2023/01/10 11:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Nanae Suzuki
箱根駅伝を総合4位で終えた国学院大学。復路は区間12-6-13-10-4位とデコボコした駅伝になったが、それでも前回の8位から4位へと躍進。出雲駅伝、全日本大学駅伝をともに2位と結果を残してきた力を見せつけた。
ただ、惜しむべきは、出走メンバーの中にキャプテンの中西大翔(4年)の名前がなかったことだ。今シーズン、学生ハーフで2位になってからレースで結果を出し、駅伝シーズンに入ると出雲は4区区間賞、全日本は3区6位と無類の強さと安定感でチームを牽引した。エース区間での配置というよりもゲームチェンジャーとして戦略的に起用され、大事な役割を果たしてきただけに箱根でも優勝のためには欠かせない切り札になっていた。
泣きながら寮に帰ってきた主将の姿を見て…
その中西が箱根欠場の判断を下したのは、12月31日だった。
「甲佐10マイルが終わった後の練習で右足のアキレス腱を痛めてしまって……。痛いながらも練習をこなしていたんですけど、31日の朝に練習したところ痛みが出て、走れる状況じゃなくなりました。正直、めちゃくちゃ悔しかったですね。今シーズンは、ずっと調子が良くて、最後の箱根でも結果を出す自信があったんですけど、最後にみんなに迷惑をかけてしまった」
31日の朝練習が終わった後、中西は泣きながら寮に戻ってきた。その場にたまたま山本歩夢(2年)と平林清澄(2年)、上原琉翔(1年)が居合わせた。
中西の姿を見た山本は、3人で誓ったという。
「大翔さんが甲佐が終わった後に足を痛めて、その時に4区に藤本(竜・4年)さんを起用して、大翔さんは復路の攻めの駒として起用することになったんです。徐々によくなっていたんですが最後、練習の強度を上げたらまた痛くなって……、31日の朝練習のあと、大翔さんが泣いて帰ってきたんです。そこで『あぁ大翔さん、厳しいんだ』と察しました。その時、平林と上原と一緒にいたんですけど、大翔さんの分も絶対にやってやろうと3人で話をしました」
同部屋で見た中西の凄さ「自分も大翔さんみたいになりたい」
山本は、1年時、中西と同部屋になり、部屋長、部屋っこという間柄で過ごした。間近で中西の凄さを見続け、リスペクトし、中西の背中を追い続けた。