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「山の神、ここに降臨」箱根駅伝の名実況はなぜ生まれたのか。昨年急逝した日テレ・河村亮アナウンサーの“仕事の流儀”

posted2023/01/02 06:06

 
「山の神、ここに降臨」箱根駅伝の名実況はなぜ生まれたのか。昨年急逝した日テレ・河村亮アナウンサーの“仕事の流儀”<Number Web> photograph by 日本テレビ

河村アナの最後の箱根駅伝担当(スタート直前番組)

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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日本テレビ

 正月の風物詩といえば箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)だ。そのドラマを伝えてきた日本テレビのアナウンサーで昨年5月に亡くなった河村亮さんを偲び、後輩の平川健太郎アナウンサーと蛯原哲アナウンサーに秘話を聞いた。〈全2回の1回目/#2へ〉

 もっとあの声を聞きたかった--。

 そう思う箱根駅伝ファンは少なくないだろう。

 昨年5月、日本テレビのアナウンサー、河村亮さんが脳出血で帰らぬ人となった。

 まだ54歳。存命であれば、今年の箱根駅伝でも現役アナウンサーの一人として中継の実況を担っているはずだった。

 ただ走るという行為を、ときに淡々と、またドラマチックに、声のみを操ってお茶の間に届ける。黒子には違いないが、あの声が主役級の輝きを放ったこともあった。

 2007年の箱根駅伝、往路5区。5位で襷を受け取った順天堂大の今井正人(4年)が前を行くランナーをすべて抜き去り、大会新記録が確実と言われるタイムで芦ノ湖へ帰ってきたときのことだ。

 4人抜き、5区で3年連続の区間賞。まさに離れ業をやってのけた韋駄天の走りに、河村アナはこんな言葉をかぶせた。

「いま、山の神、ここに降臨。その名は今井正人!」

 今もファンの脳裏に深く刻まれる、箱根駅伝の名フレーズが生まれた瞬間だった。

 山の神という言葉はその後、2代目、3代目のランナーへと受け継がれ、駅伝ファンにはお馴染みのフレーズとなっている。まさしく河村アナを代表する名句とも言われるが、本人はそのことをどう思っていたのだろう。

【次ページ】 1号車の花形ポジションを11度も

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