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「山の神、ここに降臨」箱根駅伝の名実況はなぜ生まれたのか。昨年急逝した日テレ・河村亮アナウンサーの“仕事の流儀” 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph by日本テレビ

posted2023/01/02 06:06

「山の神、ここに降臨」箱根駅伝の名実況はなぜ生まれたのか。昨年急逝した日テレ・河村亮アナウンサーの“仕事の流儀”<Number Web> photograph by 日本テレビ

河村アナの最後の箱根駅伝担当(スタート直前番組)

 生前、入院中の病室では、箱根駅伝の中継映像が流されていたという。日本テレビのアナウンサーにとって、箱根駅伝がいかに特別な存在であるかを物語るエピソードである。

 はたして、河村亮さんとはどのようなアナウンサーだったのか。

 2人の後輩が、先輩を偲んで、静かに口を開く。

「私にとっては入社が一年違うだけ。一番近しい先輩で、目標にしてきた方です。箱根に関して言えば、河村さんが先に1号車の実況をされて、その後私が3回やったのかな。毎年ポジションを変えながら、一緒に番組を作ってきました」

 こう語るのは、2015年の91回大会からセンター実況を務める看板アナウンサーの一人、平川健太郎アナウンサーだ。歳が近く、河村アナは目標であり、越えたい存在だったとその思いを語る。

「河村さんの声質は力があって、とても1号車に向いていたなと思います。1号車は先頭ランナーについて、レースの流れを伝えるんですけど、抜きつ抜かれつの場面でたたみかける描写力は見事でした。もちろん資料なんか読んでいないですし、とっさにでてくる言葉の豊富さであったり、言葉の迫力であったりはすごかったなと思います」

1号車の花形ポジションを11度も

 スタジオにいて、中継全体を総括しながら実況するセンターと異なり、中継車両に乗り込むアナウンサーは現場でランナーの走りを見守る。主に後方の注目選手につく3号車、上位グループの順位変動に目をこらす2号車、そして先頭争いを追う1号車と、経験を積むごとにステップアップしていくという。いわばその花形ポジションを河村さんは都合11度にわたり務めた。

 その河村さんから大役を引き継ぎ、現在、5年連続で1号車の実況を務めているのが蛯原哲アナウンサーだ。念願叶い、初めて1号車に乗り込んだときのことをよく憶えていた。

「自分は河村さんとは6つ違い。厳しく叱られたこともあるし、もう大先輩ですよね。初めて1号車を担当することになって、解説者の渡辺康幸さんにこう言われたのを思い出します。『おい、えびちゃん、河村さんはすごかったよ』。何がですかって訊いたら、『本当にノートなんか何も見てなかったよ』って。いつ誰が転ぶかわからない。何が起こるかわからない。だから、目の前のシーンから決して目を離さないんだ、と。それでもよどみなく言葉が出てくるのが河村さん。言葉の引き出しの多さではかなわないなって、今でも思いますね」

【次ページ】 出場チームのエントリー選手全員に取材

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