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「チームメイトが“恋バナ”しているヨコで黙って体幹トレ」アーセナル冨安健洋が中学~高校時代、アビスパに残した“超絶マジメ”伝説
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byMark Metcalfe ー FIFA/Getty Images
posted2022/11/23 11:26
名門アーセナルの一員として存在感を高める冨安健洋。アビスパ時代の指導者が見た“伝説”とは?
そのようなパーソナリティがあるから、現在のアビスパの選手には以下のような教えを受けている。
「冨安選手は、『誰かに言われたから、この練習をやろう』と考えるようなタイプではなかったよ。成長するために何が必要なのかを自らの頭で考え、自主的に課題に取り組んでいたから、世界のトップでプレーできる選手になったんだ。だから、みんなもそういう選手になってください」
17歳時に「将来、欧州でプレーする選手になるだろうね」
アカデミーダイレクターを務める井上孝浩も、藤崎と似た感覚を持っているという。
「自分自身で課題を設定して、それをいつの間にかクリアしていく。本当に成長志向の強い選手でした。私も長く、育成に携わらせてもらってきましたが、彼以上の選手は一人もいませんでした」
冨安はしばしば「努力家」と評される。「努力家」という表現は間違っていないと井上は感じるが、冨安という選手の持つ資質はその言葉だけでは表現しきれないと考えている。
「ものすごく努力をする選手であることは間違いないのですが、その根底にあるのは『意思の強さ』と思うんです。課題を見つけたら、それを克服するための技術やプレーを習得するまで、決してあきらめずに努力し続けられるタイプ。目標を達成するまで、努力し続ける『意思の強さ』が他の選手より圧倒的に優れているのだと思います」
そのような課題設定能力があったからこそ、冨安が節目の年齢を迎えるごとに指導者たちは語り合っていたという。
「この子は将来、プロ選手になるだろうね」
冨安は15歳の時、中学3年の終わりの2月にトップチームの宮崎キャンプに参加した。その様子についてトップチームから報告を受けて以降は、こう言われるようになった。
「冨安は日本代表でプレーする選手になるだろうね」
そして17歳の時、来日したバルセロナB(二軍にあたるチーム)とアピスパのトップチームとの親善試合に出場した。そこでの圧巻なパフォーマンスを見て、彼らは確信した。
「冨安は、将来、ヨーロッパでプレーする選手になるだろうね」
ポテンシャルがあるからこそ違うポジションで
体格や技術などにも光るものがあった。それはもちろんだが、誰も及ばないメンタリティの持ち主だった。実はこの時点で、冨安が日本代表のセンターバックとして活躍するだろうと将来を判断していた。その要因を、藤崎が振り返る。