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「大変な地位に上がっちゃったな…」千代の富士(当時26歳)は綱の重圧に潰されかけていた…のちの大横綱が九州で流した“覚醒の涙”
text by
荒井太郎Taro Arai
photograph byJIJI PRESS
posted2022/11/15 11:01
1990年11月、九州場所で31回目の優勝を果たし賜杯を抱く千代の富士。この9年前、横綱としての初優勝も福岡の地で成し遂げられた
優勝決定戦の一番は立ち合いで得意の左前褌に手が掛かったが、朝汐の強烈な突き押しに廻しを切られ、たちまち土俵際の窮地に追い込まれた。絶体絶命のピンチで“命綱”の左の廻しを再び掴むと、一気に走って最後は左四つからの寄り倒しで横綱初優勝を決めたのだった。
何度もタオルで涙を拭い「なんとか綱の面目を…」
NHKのテレビ中継では支度部屋で額の汗とともに、真っ赤になった両目を何度もピンクのタオルで拭うアップのシーンが映し出された。強気一辺倒だった男が見せた大粒の涙が背負っていた重圧の大きさを物語る。
「これでなんとか綱の面目を保てました。(決定戦の一番は)誰かが後ろから押してくれたみたい。優勝できるなんて全然、予想もしてなかった。今までの優勝で今回が一番うれしい」などと当時のインタビューに答えている。
この年は3度の優勝を果たし、その後は着々と優勝回数を伸ばしていきながら王者としてのオーラも纏っていくが、苦しみながら掴んだこのときの優勝が、のちの大横綱としての礎を築いたことは間違いないだろう。九州場所の連覇もここから始まった。
「15日間のペースとか精神的なものとか、横綱としていろんなことが分かって、その中でやれるんだという自信を持った場所だったね。このままではなく、ケガも少なくしなければいけない、もっとパワーをつけなければいけない、やることをやって土俵に上がらないとこんなことになるぞと、こっぴどく教えてもらった場所だった」
あの九州場所から30数年後、筆者のインタビューで“ウルフ”と呼ばれた男はそう語っていた。
今年の九州場所は果たして、どんなドラマが待ち受けているのか。群雄割拠の時代から誰が抜け出して次の時代をリードするのか。ニューヒーローの出現が待たれる。
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