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オリックスのMVP男“ラオウ”杉本裕太郎が「ヒョロヒョロの青学ボーイ」だった頃…恩師が語る愛すべき「バカヤロウ伝説」
 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byNanae Suzuki

posted2022/11/07 11:01

オリックスのMVP男“ラオウ”杉本裕太郎が「ヒョロヒョロの青学ボーイ」だった頃…恩師が語る愛すべき「バカヤロウ伝説」<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

日本シリーズMVPに選ばれ右腕を突き上げる杉本。後ろの広告看板の通り「レジェンド」になった?!

「とんでもない抜け球やワンバウンドするようなクソボールを振っちゃう。投げた瞬間、僕がベンチから“ボール!”って叫ぶような球でもお構いなしに振っちゃうんだから。これはもう、一番大きな欠点でした。いい加減にしろよ! ボールよく見て振れよ! って何度言ったことか(笑)」

 入学後に本格的に取り組んだ外野の守備でも時々“大ポカ”をやらかした。

「ライトを守っていたある時、平凡なライトフライが飛んだんですが、突然あいつがセンターの方向に猛ダッシュし始めた。で、誰もいなくなったライトの定位置に打球がポトン……。もう、唖然としましたね。どうしたんだ? と聞いたら“ボールが見えませんでした”って。ふざけるな! っていうプレーはもう、いっぱいあったよ」

「目をつぶって」使い続けた名将の思い

 それでも、当時の河原井監督は1年春のリーグ戦から杉本を抜てきし、2年生からは「4番・センター」を任せた。

「素材の良さがありましたから。一番はパワーです。マシンを打てば、ボールは遥かかなたに飛んでいった。人が投げる球は全然ダメだけどね(笑)。そういう魅力があるから4番も打たせたけれど、こっちとしてはある程度のことは目をつぶって、怖がらず思い切って打ってこい、という感じで使っていたと思います」

 そこには河原井氏ならではの信念もあった。それまで教え子として、小久保裕紀(現ソフトバンク二軍監督)や井口資仁(前ロッテ監督)という右の強打者を送り出してきた。大学日本代表の監督をつとめるなど、豊富な国際経験のなかで「今の日本には右打者がいない」と痛感していた。

「右投げ右打ちの大型打者は貴重だからプロも欲しがる。だから杉本は大きく育てたいという思いがありました。とんでもないプレーをするからその時は凄く怒るんだけど、僕もすぐに忘れてまた使っちゃうんだ(笑)。練習でティーバッティングをすると、わざと狙って場外に飛ばして民家の方まで打ち込んだりね。裕太郎のせいでこっちは何度もえらい目にあってるんだよ。でも何だろう……あいつは茶目っ気があるし、凄く優しいし、結局かわいいんだよね」

【次ページ】 「正尚の結婚式で……」忘れられない杉本の姿

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