ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「馬場は英才教育、猪木には鉄拳制裁」生涯のライバルの“同日デビュー”はこんなにも違った…力道山の下で、二人が初めて出会った日
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2022/09/30 11:04
同日お披露目、同日デビュー、生涯のライバルとなったアントニオ猪木とジャイアント馬場
2人が初めて出会った日
馬場のプロレス入りの経緯については、巨人軍在籍時から球団イベントなどで力道山と面識があり「早く野球をやめて俺のところに来い」と言われていたという話や、先にプロレス入りしていた元プロ野球トンボ・ユニオンズの竹下民夫からスカウトされた話など諸説ある。
ハッキリしていることは、1960年3月に馬場が人形町の日本プロレス道場に力道山を訪ねて行ったことだ。この時、あいにく力道山はブラジル遠征中のため不在だったが、翌月再び訪れると帰国したばかりの力道山と対面。そこで日本プロレス入りを直訴すると、力道山は馬場の体つきを確かめ、スクワットだけをやらせたのち即日で入門を許可した。この時、力道山の傍にいたのがブラジルから帰国し付き人となったばかりの猪木だ。これが両者の出会いとなる。
二人の有望な新人を獲得できたことを力道山はよろこび、数日後、さっそくマスコミに馬場と猪木をお披露目した。元巨人軍のピッチャーで2mを超える巨体を誇る馬場正平と、ブラジル・サンパウロ出身の日系二世という“設定”の猪木寛至。同日入門発表となった二人のライバルストーリーはここから始まった。まさに運命的と言う他ない。
対照的な“同日デビュー戦”
約5カ月間の厳しいトレーニングを経て、馬場と猪木は1960年9月30日、東京・台東区体育館でデビュー戦を行った。馬場は、元大相撲幕下力士で32歳の田中米太郎に5分15秒、レッグスプリット(股裂き)でギブアップ勝ち。猪木は7カ月先輩で14歳年上の兄弟子・大木金太郎と対戦し、7分16秒、リバースアームロック(逆腕固め)で敗れた。
力道山は馬場と猪木に対し、対照的なプロデュースでまったく別の育て方をした。2mを超える巨体を誇り、プロレス入りする前から巨人軍のピッチャーという“プロ”であり体もできていた22歳の馬場は、すぐにでも“商品”として売り出すべく、自分の元付き人でレスラーとしてのピークはすぎた中堅の田中米太郎に完勝させることで、鮮烈デビューを飾らせた。
一方、ブラジルでの厳しい労働で鍛えられた柔軟な肉体と根性を持つ17歳の猪木には、“エリート新人”をライバル視するすぐ上の先輩でガチンコの強さでも定評があった大木金太郎を当て、プロレスの厳しさを味わわせた。