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甲子園優勝ドラ1左腕→新人王のち27歳戦力外→4年後ヤクルト入団も再び… 正田樹40歳は今、何を?「中途半端でやめるわけには」 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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posted2022/10/02 17:01

甲子園優勝ドラ1左腕→新人王のち27歳戦力外→4年後ヤクルト入団も再び… 正田樹40歳は今、何を?「中途半端でやめるわけには」<Number Web> photograph by Kou Hiroo

11月で41歳となる正田樹。かつての甲子園優勝投手は今、どうしている?

 多くの選手はこのタイミングで野球をあきらめて、サラリーマンなど他の道に進むはずだ。しかし正田はそうは思えなかった。

「このとき気づいたんですね。自分が好きで始めた野球を、こんな中途半端な状態でやめるわけにはいかない。せっかく憧れてなったプロ野球選手をここでやめるわけにはいかない、と言うことで気持ちを入れ替えたんです」

台湾で出会った「高津臣吾」という存在

 そして翌年、CPBL(台湾プロ野球)のテストを受けて、興農ブルズに入団した。

「打者はメジャー志向で振りが大きかったですが、投手は日本に近いかなと思いました。1年目のオフにドミニカ共和国のウィンターリーグに参加しました。なんとかMLB球団と契約できないかと思ったのですが、オファーはありませんでした。そこで2年目の2010年も興農で投げたのですが、この年に今、ヤクルトの監督をしておられる高津臣吾さんが入ってこられたんです。僕が高津さんに“アメリカでやりたいです”って話したらMLBのトライアウトを紹介してくださいました。そして2011年にレッドソックスとマイナー契約を結んでスプリングキャンプに参加しました。でも、生き残ることができずに3月にリリースされました。

 そこで日本に帰ってきたのですがBCリーグ新潟の球団社長が声をかけてくださいました。ちょうど高津さんも新潟に入団されたので“一緒に野球ができるのなら”と新潟でプレーすることにしたんです」

 BC新潟では救援投手として活躍し、地区優勝に貢献。すると翌年2月にヤクルト春季キャンプ地の浦添市に呼ばれ、入団テストを経て、4年ぶりのNPB復帰が決定。独立リーグからNPBへの復帰はレアなケースだった。2012年、正田は中継ぎ投手として24試合に登板し0勝0敗3ホールド防御率2.84、2013年は1勝1敗1ホールド防御率2.87の成績を残した。

「でも、シーズン通しては活躍できなかったんです。一軍と二軍を行ったり来たりして、チームの信頼は得られなかった。そして2年目のオフに戦力外通告を受けました」

 2013年、2度目の戦力外通告。すでに32歳になっていたが、正田は現役続行の意欲を示し12球団合同トライアウトを受けるが、NPBのオファーはなかった。そこで、再び台湾プロ野球のLamigoモンキーズに転じて先発投手として投げるも不振で5月に契約を解除され、四国アイランドリーグplusの愛媛に入団した。

「ヤクルト時代の加藤博人投手コーチが、愛媛の投手コーチに就任しておられて、台湾の球団を退団した時に、愛媛でやらないかと誘っていただいたんです」

 NPB、CPBL、米マイナーリーグ、そして日本の独立リーグ、様々なリーグで投げてきた正田だが、レベルの違いは感じているのだろうか?

【次ページ】 河原純一という“先輩”が正田の支えとなった

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