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「代表に選ばれないのは悔しい」「優磨くんのそこは見習わないと」選手権得点王・パリ世代の染野唯月がヴェルディで誓う“挫折のち逆襲”
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2022/09/22 11:03
パリ五輪世代の得点源としても期待される染野唯月。3年前の選手権得点王が考える現状、そして今後の自分とは?
「正直、なんでこのポジションなんだろうなって。前のポジションで自分が負けているとは思えなかったので。前で張ることもできるし、中盤に落ちてゲームメイクに加わることもできる。なんで、前で使ってくれないんだろうって」
鹿島への思いと、ヴェルディ城福新監督との対話
大岩監督としては、鹿島つくばジュニアユースに所属していた中学時代はボランチだった染野の中盤でのプレーを確認したかったのかもしれない。あるいは、クラブでFWとして試合に出場している選手たちにそのポジションでアピールする機会を与え、追加招集だった染野を空いていたポジションで使ったのかもしれない。
本当のところは分からないが、染野が悔しさを覚えたのは確かだった。
「代表のことを考えると、試合に出ないことには選ばれない。でも、鹿島は練習から激しくて、強度が本当に高い。鹿島で練習していたら成長できるとも感じていたので、移籍については本当に悩みましたね。理想は鹿島で試合に出るのが一番でしたから」
素材は抜群ながら、出場機会に恵まれない若きストライカーを、他クラブが放っておくはずがない。いくつかのクラブが染野に興味を示したが、その中でいち早くアプローチしたのが東京Vだった。
東京Vも6月に城福浩新監督が就任し、戦力の充実を図ろうとしていたところだった。
「城福さんと直接話をして、自分に対する思いを語ってくれて、必要とされていることを感じました。『環境を変えてみないか』と言われて、ちょうど自分もそう思っていたところなので、ここで自分を変えよう、と。綺世くんが移籍するという話も耳に入ってきましたけど、外に出てもっとレベルアップしたいと思ったんです」
FWを任せてもらっているのは嬉しい。だからこそ
染野はU-21日本代表でインサイドハーフとして起用されただけでなく、鹿島ではサイドハーフとしても起用されていた。前述したように中学時代はボランチで、FWにコンバートされたのは尚志高校に入ってから。つまりFW歴は5年半しかないが、FWへのこだわりと誇りは強く、高い。
「自分は中盤の選手としてプロになったわけではなく、FWとしてプロになった。勝負したいのはFWだし、点を決めるのは誰もが嬉しいことですよね。だから、ヴェルディでFWを任せてもらっているのは嬉しいし、だからこそ、自分に求められていることをしないといけない」
過去のインタビューでは、理想とする選手にリバプールのロベルト・フィルミーノを挙げていたが、今はどうだろうか――。
そう尋ねると、染野はちょっと困った様子で、口ごもりながらも答えてくれた。