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片岡安祐美「ケツポケットに生理用品を…」甲子園を目指した“唯一の女子部員”が感じていた過酷さ「野球をやめると宣言したこともある」
posted2022/09/17 11:02
text by
小泉なつみNatsumi Koizumi
photograph by
Asami Enomoto/球団提供
「男社会」のなかで甲子園を目指した高校時代
――熊本商業高校時代、男子部員に混じって硬式野球部唯一の女子部員として甲子園を目指して練習をしてきたんですよね。当時、休みはあったんですか。
片岡安祐美さん(以降、片岡) ほとんどなかったですけど、たまの休みにやっていたことといえば、プリクラですね。
――90年代後半から00年代前半は空前のプリクラブームでしたよね。
片岡 プリクラって、相手のをもらうには自分のプリクラをあげなくちゃいけないけど、私はふだん休みがないので、他の子に比べて圧倒的に枚数が少ないんです。なので、休みがあるとプリクラを5、6回撮りだめして、それをセブンのカラーコピーでさらに増殖。プリクラが印刷された紙の裏に両面テープを貼って「自作プリクラ」を大量に作ってました。私の数少ない女子高生的思い出です(笑)。
――数少ない「女子高生的」な思い出ということですが、片岡さんは小学校3年生から野球をはじめられて、多くの時間を「男社会」の中で過ごしてきたと思います。やりづらさはありましたか。
片岡 小学生のときからからかわれることはしょっちゅうでした。「片岡から崩せ」と指示を飛ばす対戦相手の監督もいましたし、相手チームの保護者からもずいぶんヤジられました。高校で硬式野球部に入ったときも周りの部員は女子部員にどう接していいかわからないからか、はじめはキャッチボールしてくれるチームメイトもいなかったです。
当時は「なんで女だと出られないの?」と怒っていた
――そもそもですが、当時、女の子が甲子園に出ることはできないという規定があったなか、硬式野球部に入部したのはなぜですか。
片岡 とにかく、どんな方法でもいいから甲子園に出たかったので、そのためには男子部員に混じって野球部に入り、甲子園を目指すしか方法がなかったんです。男性ではない自分はグラウンドに立てなくても、ベンチでスコアつけるなり、アルプススタンドで応援するなりすればいいと思っていました。
――どんなに頑張っても甲子園に出られない状況で、ずっとポジティブでいられたんですか?
片岡 取材を受けるたび、当時は「なんで女だと出られないの? おかしい!」と怒ってましたよ。その後、周囲を味方にできるような発言をしないとダメだよ、とアドバイスをもらい、「いつか認めてもらえるように頑張る」と言えるようになりましたが。
――2021年からは高校女子硬式野球の決勝戦のみ、甲子園で試合ができることになりました。今ならまた違った選択をしますか。
片岡 今私が高校生だったら、男子だけの硬式野球部には入っていなかったかもしれませんね。女子硬式野球部で甲子園の道を目指しているかもしれないです。20年前に比べたら環境は変わってきているし、間違いなくそれは女子野球を続けてきた多くの方が働きかけ続けた功績だと思います。