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〈J2降格危機〉「ガンバらしさ=遠藤保仁らしさ」はアップデートされたのか 有能な片野坂監督“解任劇の本質”、変えるべきもの
posted2022/08/26 06:00
text by
下薗昌記Masaki Shimozono
photograph by
Takuya Sugiyama
三顧の礼で迎え入れたはずの指揮官は、選手やスタッフが情報を共有するグループLINEに、こんなメッセージを残してガンバ大阪を去っていった。
〈最後まで勝たせてあげられなくて、申し訳なかった〉
勝利から遠ざかる選手への謝意を表す言葉だった。
今年1月、新体制会見でガンバ大阪の復権を誓うとともに「ガンバのスタイルという部分がある。またガンバのスタイル、カラーを取り戻したいし、そういうスタイルは継承しながら、また、やっていきたい」と力強く公言した片野坂知宏監督は8月17日、その肩書きを「前監督」に変えていた。
解任を告げられた前日、小野忠史社長と和田昌裕取締役との話し合いの場で、片野坂前監督は「試合ごとに少しブレてしまった」と自らの足取りを振り返ったという。
「ガンバらしいサッカー」とはそもそも?
ただ、早すぎた片野坂体制の終焉の根本には、クラブが掲げる「妄執」があるように思えるのだ。
ガンバらしいサッカー――。歴代の社長や、新たに就任した監督は新体制会見など所信を表明する場で、お題目のようにこの言葉を口にしてきた。
かつて「超攻撃」をスローガンに掲げたシーズンがあった西野朗元監督が率いた当時「2点取られれば、3点を取る」という破天荒なスタイルで、攻撃サッカーの雄としての立ち位置を確立。J2リーグ降格からの立て直しを託された長谷川健太元監督の時代にはファストブレイクを軸に、勝負強いサッカーで二度目の黄金期を迎えた。
だが、ガンバ大阪が手にしてきた9つのタイトルを振り返れば、唯一、欠かせない存在だったのは遠藤保仁という稀代のプレーメーカーだった。
遠藤と二川、橋本や山口、明神らを擁して
「ガンバらしさ」という概念は実のところ「遠藤らしさ」と同義だった。
西野監督が率いた当時、遠藤と二川孝広という二人の天才MFが全盛期を迎え、橋本英郎や山口智、明神智和といった日本のサッカー史に残る名バイプレーヤーを擁していたからこそ、魅惑のパスサッカーは成立したのである。
二川が徐々に出番を失い始めた長谷川体制下でも要所では、華麗な崩しを見せることがあったが、やはりその中心には今、ジュビロ磐田で50番を背負う男の存在があった。