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「大谷翔平の打球はまったく見えなかった」帝京前監督・前田三夫が衝撃を受けた3人の甲子園スター「東京からはああいった選手は出てこないだろうな」
text by
前田三夫Mitsuo Maeda
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2022/08/20 17:01
帝京の監督として約50年にわたり高校野球を見てきた前田三夫。名将が忘れられない名選手は大谷の他にも…?
立浪選手とは、1987年の春夏の甲子園で対戦したのですが、彼は守備の際、バットにボールが当たった瞬間に、左右に動いてボールをさばいていました。彼のように俊敏な遊撃手は、後にも先にも立浪選手をおいてほかにはいませんでした。
また、打撃も特筆するものがありました。夏にベスト4で対戦したときには、173センチという小柄な体で、初回にいきなり帝京のエースだった芝草からライトスタンドへ本塁打をかっ飛ばしたのです。当時の甲子園球場はレフトとライトにラッキーゾーンがあった時代でしたが、そのパンチ力には驚きました。試合は結局、4対12と大敗を喫して悔しい思いをしましたが、立浪選手の守備と打撃は今でも強く印象に残っています。
立浪選手はその年のドラフト1位で中日に入団しましたが、ルーキーイヤーに新人王のタイトルを獲り、その後も長年にわたって中日の看板選手となり、通算2480安打を放つ活躍ぶりでした。「ああいった選手がプロで活躍するんだろうな」と思っていたので決して驚くものではありませんでしたが、お見事という以外にありません。
打球の行方を追えなかった花巻東・大谷翔平選手
大谷選手と対戦したのは2011年の夏の甲子園の2回戦。当時、大谷選手はまだ2年生で体が成長過程にありましたが、そのパンチ力には驚きました。
この試合で大谷選手は「5番・ライト」で出場していたのですが、2回の第2打席でのこと。彼は「カキン」という音とともにセカンドに強烈なライナーを打ったのですが、なんとその打球がまったく見えなかったのです。二塁手の阿部健太郎(現・NTT東日本)が好捕したのですが、阿部本人も「あっ、グラブにボールが入っていた」というような驚きの表情をしていました。私は三塁側のベンチから見ていたのですが、過去に打ったあとの打球が見えなかった選手などいたことがなかったので、相当の衝撃を受けたのを今でもよく覚えています。